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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)1022号 判決 1965年3月22日

控訴人(原告) 乾徳蔵

被控訴人(被告) 大阪地方裁判所

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人が昭和二四年九月一三日控訴人に対してなした免職処分は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出援用認否は、左記のとおり付加訂正したほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は、

一、公務員の労働関係は、公務員と国または公共団体との間の公法上の契約関係であり、この限りにおいて、公務員の地位も私企業労働者の雇傭契約にもとづくそれと本質的に異るものではない。そして、かかる見解が正当であることについては、日本国憲法第二八条の規定並びに憲法制定後の労働法規の立法経過を一瞥すれば明らかである。憲法第二八条に言う勤労者とは、私企業労働者のみならず公務員をも包含するものである。従つて、旧労働組合法(昭和二〇、一二、二一法律第五一号)労働関係調整法労働基準法等の労働立法もそのまま公務員にも適用されたのである。かくして、法律上公私の労働関係をその実態から同一視する方向が明らかにされ、このことが、憲法の企図する官庁の民主化にも即応するものとして理解せられたのである。昭和二二年国家公務員法(以下国公法と略称する)が制定されたときにも、右の原則は変更されなかつたのみならず、同法第一〇五条は職員が法令による職務を担当する以外の義務を負わないことを規定し、従来官吏の勤務について認められていた無定量の勤務の観念を否定した。かくして、公務員制度は、明治憲法下における特別的権力関係としての絶対的官吏制度から現行憲法下における公法上の契約関係としての民主的公務員制度への一八〇度の転回を遂げたのである。端的に言えば公務員の労働関係は、国又は公共団体を使用者公務員を被傭者とする公法上の雇傭契約である。従つて、このことから、公務員の免職処分は、公法上の契約の解除であつて、その本質においては私企業労働者の解雇と異るところはなく、それは明らかに行政行為に属するものではないのである。即ち、行政法学上一般に行政行為―又は行政処分―と言われている行為は、行政機関の行う行為の中行政機関が法に基き公権力の行使として人民に対し具体的な事実に関し法律的規制をなす行為であつて、畢竟公権力の主体としての行政主体とその客体としての人民との間の権力支配の関係において認められる行為のカテゴリーである。そして、通説判例がかような行為を認めているのは、公権力の行使については行政事務の円滑な運用と法的安定性のための行為の適法性の推定即ち公定力を附与するのが相当であるとの考慮に基く。従つて、公法上の契約は、統治支配の関係において成立するものではないから、行政行為に該当せず、行政行為に関する原則の適用が全面的に排除されることは今日一般に承認されているところと言わなければならない。いわんや、公務員の免職処分の如きは、もとより統治の主体たる行政機関とその相手方たる人民との間の支配関係に属するものではないのみならず、単に公権力の主体たる行政機関の内部問題に過ぎないから、これをもつて行政行為に属するものとし、公定力を認める法的根拠は何等存在しないと言わなければならない。従つて、本件免職処分の効力については、契約の一般原則に従うべきであり、その無効を判断するには重大且つ明白な瑕疵の存在を要しないものと言うべきである。

二、人事院は、審査請求に対する判定において、処分の種類及び程度のみならず処分の理由を変更することもできる。従つて、本件免職処分の理由は勤務成績不良の事由のみに限定されたものと解すべきであるから、裁判所は行政庁により最終的に変更された処分即ち勤務成績の不良を理由とする免職処分のみについて審判する権能を有するに止まり、適格性の有無をむし返して審判する権能を有しない。

三、信念的行動であることを不適格性の理由としてなした本件免職処分は、信念によつて差別し思想を罰したものであつて、労働基準法第三条憲法第一九条第二一条に違反し無効である。

四、(一) 在籍専従制度の確立と承認、

大阪控訴院大阪地方裁判所に勤務する書記雇傭人約二〇〇名は昭和二一年一一月一六日裁判所職員組合を結成し、翌二二年一月全司法に加盟し全司法大阪支部となつた。同組合は、結成と同時に組合員等の生活物資の調達分配給与の繰上げ支給補給金の支給の要求等飢餓線上の生存を維持し労働力を再生産するための活動に取組んで行つたのである。(この様な活動は組合活動の枠を越えたものであり、本来的には政府の責任の範疇に属するものと言うべきである。)そして、全司法大阪支部が斯る活動を遂行してゆくためには、勤務時間内の組合活動の自由及び専従組合員の存在を不可欠としたのである。しかも、組合結成後間もなく財政的基礎も無いし組合員の意識も組合資金によつて専従役員を置く必要を認める程には高くなかつたため在籍組合員がその給与も全額国庫負担において専従役員とならざるを得なかつた。他面、裁判所当局としても、組合が職員の生存と労働力の再生産を図つて活動するのを阻害するのは自殺行為であるから、勤務時間内の組合活動の自由及び在籍専従者を了承又は黙認したものである。しかして、控訴人及び訴外人藤原菊千代が専従役員をしていた昭和二三年一月頃から同年九月迄は、右両名は刑事部の事務配置からはずされているか閑職の主任部に形式的に配置されていること、同年一〇月から翌二四年八月頃迄専従役員をしていた訴外増田裕が組合事務に専従するため調停庁舎二階の非訟課から陪審庁舎三階の刑事訟廷課に配転されていることは、前記の事実を裏書する。控訴人は、原審において、昭和二三年一月頃から訴外増田裕が全司法大阪支部の書記長として組合事務を専従し控訴人が同年一一月謄写係長に就任してこれを引継いだと主張したが、右は、事実に反し、昭和二三年一月頃から同年九月頃迄は控訴人及び訴外藤原菊千代が組合事務を専従していたが、同年一〇月から訴外増田裕がこれを引継ぎ、控訴人及び訴外柏下某が増田を補助していたものであるから、右のとおり訂正主張する。

(二) 法令の整備の過程と労働慣行、

全司法大阪支部が結成されて以来、被控訴人から組合在籍専従者を了承又は黙認されていたことは、前記のとおりであるが、国公法が昭和二三年七月一日施行されたこと、同年一〇月次官通牒が発せられたこと、翌二四年五月人事院規則一四―一同一五―三が施行されたことにより、右の事態が変化したか否かが論議されなければならない。しかして、この場合、右各法令が、在籍専従を全面的に禁止するのではなく、一般的に勤務時間中の組合活動及び無許可の専従を制約するに過ぎないことに留意すべきである。全司法大阪支部は、結成当時二〇〇名位の組合員で構成されていたが、昭和二三、四年頃になると組合員は倍増し約四〇〇名位になり、生活物資の調達分配委員会団交情宣活動研究活動等多くの組合事務を抱えていたものであつて、昭和二三年暮から翌二四年半ばにかけて専従者又は半専従者二、三名が必要であつたことは多言を要しないであろう。組合活動に関しては、労働慣行が労働関係の大きな部分を規制する。全司法大阪支部においては、組合結成から国公法施行まで二年近く専従者半専従者が置かれ、労働慣行として専従制度が確立した。組合には専従者が認められると言う権利意識が定着した訳である。しかも、国公法第一〇一条次官通牒及び人事院規則一四―一同一五―三は、専従休暇制度を認め、その手続を規定する。斯る場合、組合が専従者又は半専従者を従前通り置くのは、労働慣行の延長として当然承認さるべきである。おまけに、国公法が昭和二三年七月一日施行されて以来、同法第一〇一条による専従休暇手続は人事院規則一四―一、同一五―三が昭和二四年五月九日施行されるまで法制的に定められず、組合から専従休暇の許可を申請されても、任命権者は専従休暇を与えることは出来なかつたのである。最高裁判所は、国公法による専従休暇制度が右の如く人事院規則一五―三によつて整備されたので、昭和二四年八月八日付裁判所時報号外に掲載された「裁判所職員の服務について」と題する通達を各下級裁判所の長宛に発したが、右通達は、最高裁判所が、職員団体たる全司法に対し初めて専従休暇手続を履践することを要請すると共に、各任命権者が各地に労働慣行として行われていた専従制度と人事院規則一五―三とのひずみの是正を要求したものである。全司法大阪支部は、その結成以来、職制職員が組合の幹部となり、組合執行部の要職を占めていた。即ち、事務局長を除く全職員は組合員となり、上席書記事務官が進んで大阪支部執行部に結集したのである。斯る現象は、控訴人が処分されるまで終始一貫したのである。そして、大阪支部は、裁判行当局に対し、人事委員会を通じて職員の最高幹部たる事務局長以下の職員の配置転換等人事行政の執行に意見を具申し、人事の公平に参与した。斯る場合、終戦直後の組合活動の特殊性により、事務局長以下の職制職員による指揮監督と組合の活動とが混合し、公務と組合活動とが時間的にも場所的にも明確に区別されることなく癒着されることになつたのは当然と言うべきである。このような状態は、国公法の施行、政令二〇一号の発表等により直接左右されることはなかつた。全司法は、次官通牒人事院規則一四―一同一五―三に対し、昭和二四年六月の大会において、将来のために専従職員の財政的措置をなすことを決議している。全司法大阪支部は、その結成以来本件免職処分に至るまで常に裁判所当局に協調的であり、微温的性格を脱皮し得なかつた。勿論、同大阪支部の組合活動が、昭和二一年乃至二三年にかけて主として生活物資の調達分配等に集中していたが、その後、そのような事務の外に、組合独自の情宣研究活動等に手を拡げたことは事実であるが、斯ることは、社会情勢の推移によるもので、組合の性格に影響をきたすものではない。全司法大阪支部は、国家公務員が労働三権を制約された後においても、人事委員会を通じて裁判所当局に対し人事の希望等を具申する等の手段により、従前通り労使が対立することなく、協調的に運営することができたのである。

職員が勤務時間中に組合事務に従事することを内容とする組合裁判所当局間の慣行は、組合の歴史労使関係の沿革組合員の数その当時の実情からも必要であり正当であつた。労使間の正当な慣行は、当事者の一方がほしいままにこれを廃棄することはできない。従つて、かかる慣行が労働者の団結権を侵害しない方法により有効に解消されるまでは当事者双方を拘束する効力を有するものである。

五、国公法第七八条第一号の不該当、

(一)  控訴人が勤務時間中に組合業務に従事し組合活動を行うことについては、控訴人が謄写係長に就任した際あらかじめ被控訴人の了解若しくは黙示の承諾を得ていたのである。控訴人が就任した謄写係長なる職は、比較的閑職で、その事務室が陪審庁舎三階で組合事務所に接していたところから、前記人事委員会が、控訴人を謄写係長に推薦し職務のかたわら組合事務を執らしめようと考え、被控訴人に対し控訴人を謄写係長に推挙したところ、被控訴人が控訴人を右謄写係長に任命したのである。控訴人は、後任者のようにタイピストの経験がなく、必ずしも謄写係長の職務内容であるタイピストの指揮監督に適任ではない。それ故、被控訴人は、人事委員会が何故被控人を謄写係長に推挙したかその理由を確かめたものと思われ、人事委員会か直接又は間接に右推挙の理由を容易に確かめ得たであろう。そのうえ、昭和二四年三月一五日当時、謄写係にはタイピストが三名しかいないのに、被控訴人はタイプの経験がないが組合役員であつた増田裕を謄写係に配置している。又、同年五月二五日には、控訴人及び増田に加えて更に全司法中央委員として東京に駐在することになつた加藤弘和も謄写係に配属している。これらの事実を綜合すると、控訴人が在籍組合半専従者として勤務時間中に組合業務に従事することを、その謄写係長任命に際し、被控訴人において了解し又は黙認したものと容易に推認されるのである。従つて、控訴人が、組合業務に従事するため、その上司の許可を得ないで勤務時間中に自席を離れ、職務にさしさわりのない程度に組合活動をなしたとしても、職務専念義務違反に該当しない。それ故にこそ、控訴人の上司である事務局次長今中幸次郎訟廷課長河野孝道両名も、控訴人が勤務時間中に組合活動をなしているのを直接目撃しておりながら、何等の注意も与えなかつたのである。このように控訴人は、謄写係長になつて以来、在籍組合半専従者として勤務時間中に組合業務に従事することを被控訴人より了承若しくは黙認されてきたのであるから、被控訴人は、八、八通達が発せられた後は、これに従い、控訴人に対し職場に復帰するように注意を与え、又専従休暇の許可申請をなすよう勧告すべきであつたのに、これをしないで、その後も漫然とこれを放置したのである。それ故、八、八通達が発せられた後、被控訴人が控訴人の勤務時間中の組合業務従事を禁止したものとは認められない。以上の如く、控訴人が謄写係長をしていた全期間に亘つて、控訴人が勤務時間中に組合業務に従事し若しくは組合活動を行うについて、被控訴人の了解若しくは黙示の承諾を得ていたことは明らかである。

(二)  控訴人が謄写係長をしていた昭和二四年三月一二日から同年九月一一日まで(以下控訴人在任期間という)とその後任者が在任した同年九月二六日から同年一二月二五日まで(以下後任者在任期間という)の刑事訟廷課謄写係のタイピストの事務処理状況を期間別個人別に整理すると、末尾添付別表のとおりであつて、タイピスト数に大きな変動があつたものである。即ち、後任者在任期間中には、常に桑原清水饒波中山田中斉藤高木笠原安藤山村の合計一〇名のタイピストが配置されていた。れこに対し、控訴人在任期間初期である昭和二四年三月一五日には、清水饒波中山の僅か三名のタイピストしか謄写係に配置されておらず、他の係に配置されていた桑原(庶務係)斉藤(受付係)田中(証拠品係)が謄写係の事務にも従事して応援する有様であつた。その後、判決原本等の浄書の受付件数が増えたためか、同年四、五月には、更に刑事訟廷課庶務係山村及び民事訟廷課大礼の応援までも求めなければならなかつた。同年五月になつて、桑原斉藤田中の配置転換及び笠原高木吉房の任用により謄写係は合計九名のタイピストを擁するに至つたが、内七名は判決原本等浄書の経験に乏しく右浄書を迅速に行うには更に相当の期間実務にたずさわる必要があつたものであるところ、同年七月一〇日頃吉房が退職したため再び八名に減少し、その後控訴人の在任期間の終り頃(九月三日)まで増員されることがなかつた。一方、昭和二四年五月一七日最高裁判所規程第一一号裁判所職員の休暇に関する規程によると、昭和二四年当時裁判所職員は七月二一日から八月三一日までの間(但し事務に支障のある場合は他の期間)に二〇日以内の休暇を与えられたことが認められ、清水が八月一四日から同月三〇日まで、中山が八月二六日から九月一一日まで、桑原が八月一二日から同月二二日まで、田中が八月一二日から同月二三日まで、高木が七月二一日から八月八日まで、笠原が八月六日から同月三〇日までの各期間を夫々休んだものと推認せられる。ところが、後任者在任期間中は、このような浄書を遅延させる事情はなく、却つて、タイピストが一〇名に増員され、新たに山村安藤というタイプ速度の早いタイピストを配置されるなど浄書を早める事情すらあつた。してみると、控訴人在任期間浄書一件当り所用日数が後任者在任期間のそれに比して一、〇六日多く要したとしても、この程度の遅延はむしろ当然であつて、直接控訴人の勤務時間中の組合業務従事に起因するものということはできない。その上、控訴人在任期間の内には、裁判官の転勤移動により又夏期休暇のため終結する事件数が少く、従つて判決原本の浄書の受付件数が他の期間に比して少い三、四月及び七、八月を含んでおり、この点からも、タイプ完成枚数で後任者在任期間よりも少いのは当然である。又、控訴人在任期間は謄写係が整備されつつあつた時期に当つたため、裁判官が同係を充分に活用するに至つていなかつたものである。一方、後任者在任期間中は、公判調書の浄書が相当数(完成タイプ枚数で六七枚)含まれており、そのことが殆んど公判調書の浄書がなかつた控訴人在任期間に比してタイプ完成枚数を増加させる一因となつている。なお、後任者はタイプの熟練者であつてタイピストの指導監督に適した素質を有するが、控訴人はかかる適性はない。そのことが、未熟なるタイピストが多い謄写係の事務能率に影響を与えたことは容易に想像できる。以上の各事実を考え合わせると、控訴人の任在期間中各一ケ月間当りタイプの完成枚数の総計が後任者のそれと差があるのは当然であつて、右相違が控訴人の組合業務従事に起因する相違であるとは認められない。従つて、判決原本等の浄書が遅れその完成枚数が少なかつたことが控訴人の勤務成績が不良であつたことに起因するとの推認は全く妥当でない。

(三)  控訴人は、昭和二三年一一月まで刑事部の書記として勤務していたのであるが、その立会書記当時、既に組合業務を熱心に行つていたのに拘らず、その職責を充分に遂行しその勤務成績は極めて良好であつた。そのことは謄写係長としての勤務成績も良好であつたことを窺わしめるものである。

それ故控訴人には国公法第七八条第一号に該当する事由がない。

六、国公法第七八条第三号の不該当、

控訴人は、勤務時間中組合業務に専従することについて、その謄写係長就任の際、被控訴人の了解若しくは黙示の承諾を得ていたものであることは、前記のとおりである。当局は、国家公務員の職員団体で一般に行われていた在籍組合専従の慣行を専従休暇制度に切換えるのに相当長期間かかることを予定し、徐々に具体的な立法を重ねてきたのであつて、当局が国公法制定当時より労使慣行の是正に努めていた時に控訴人が敢えて継続して勤務時間中に組合業務に従事したと評価することは妥当でない。裁判所当局が、在籍組合専従の慣行を専従休暇制に切換えるように措置をしたのは、本件免職処分に先立つこと僅か一ケ月の昭和二四年八月八日最高裁判所が下級裁判所の長に宛てたいわゆる八、八通達が最初であること、右通達が、在籍組合専従者に職場復帰を指示し若しくは専従休暇許可申請を勧告するよう下級裁判所の長に命じたもので、直接裁判所職員に宛てられたものでないことを指摘したい。しかして、被控訴人は、右通達の前後を問わず、その職場内で具体的に勤務時間中組合業務に従事することを禁止し以後かかる行動に出る場合は処分する旨一般的に警告したこともなかつた。全司法は、昭和二四年六月当時各裁判所で在籍組合専従者を擁しており、そのことについて、裁判所人事院当局いずれからも詮議を受けていなかつた。更に、控訴人の場合組合の人事委員会で勤務時間中組合業務に従事させるため謄写係長に推薦したという事情があつた。その後、同じく謄写係に配置せられた加藤弘和の如きは全司法中央委員として東京に駐在していたが、被控訴人において職場復帰を指示することをしなかつた。そして、いわゆる八、八通達が発せられた前後を問わず、控訴人は被控訴人から職場復帰を指示され専従休暇許可申請を勧告されたこともなかつた。このような状況の下で、仮に被控訴人において控訴人が勤務時間中に組合業務に従事することを承認若しくは黙認していなかつたとしても、控訴人が謄写係長在任当時勤務のかたわら勤務時間中に組合業務に従事することを被控訴人において了解しているものと信じていてもあながち無理からぬところである。このように、控訴人が被控訴人の了解があるものと信じていたためにとつた行動が信念として職務専念義務遵法義務に違反した行動と評価できるであろうか。控訴人は正義感の強い非常にまじめな青年であつた。それ故、被控訴人が控訴人に前記指示勧告を与えれば、必ずやそれに従つたであろう。それにも拘らず、控訴人の右行動を以て矯正できない持続性のある職務専念意思遵法精神欠如の徴表といえるであろうか。従つて、控訴人には職務専念意思遵法精神が欠けていることはなく、また、仮にあつたとしても、簡単に矯正できない持続性をもつているものではなかつた。よつて、控訴人には国公法第七八条第三号に該当する事由はない。

七、人事院規則一一―〇第一項違反、

人事院規則一一―〇第一項は、国公法第七八条第一号の場合につき、その所定の処分事由を認定する手続を厳格にしたものである。即ち、国公法第七八条第一号は、専ら行政事務の合理的運営乃至能率という国家の利益のために、職員をその責に帰すべき事由の有無にかかわらず職員の執務上の成果に応じて降任又は免職するものである。それ故、同法による処分事由の有無程度を認定する方法を処分権者のほしいままにゆだねるならば、不当に職員を降任又は免職し職員の身分又は資格に伴う権利乃至利益を著しく害する結果となる。従つて、右規則は、かかる弊害をなくし職員の右権利乃至利益を保護するため、国公法第七八条第一号により不利益処分をなす場合に、その処分事由の認定について、主観性の混入するおそれのある証拠方法を排除し、証明力の稀薄な情況証拠から推認的に認定することを許さず、合理性のある客観的資料によつて認定することを要求したものである。してみると、職員は、国公法第七八条第一号の処分事由がなれけば降任又は免職させられない権利をもつばかりでなく、これとは別に、右規則によつて定められた手続によらなければ右処分事由の有無を認定されず、従つて、降任又は免職させられない権利をもつている。よつて、右規則によつて定められた手続に関する瑕疵は、右規則によつて定められた手続によらなければ降任又は免職させられない権利を侵害するから、実体的判断の適否に関係なく、重大な瑕疵に該当するものといわなければならない。ところで、本件免職処分の当否について検討した常任委員会裁判官会議は、控訴人の勤務実績よりもその組合活動の内容に対する反感印象によつて免職処分の要否を論議したきらいがあつて、本件免職処分を決定した裁判官会議は、同規則第一項に明示しているところの考課表は勿論勤務成績を評定するに足ると認められるようないかなる客観的資料にも基かず、専ら常任委員からの口頭による説明並びに出席裁判官の意見陳述のみによつて、控訴人の勤務実績を認定したものである。従つて、本件免職処分は、控訴人の勤務実績不良の処分事由を認定する手続において、同規則第一項に違反した瑕疵があり、かかる手続上の瑕疵は重大な瑕疵に該当するものと認めなければならない。

よつて、本件免職処分は、国公法第七八条第一号及び第三号に定めた要件事実を欠き、重大且つ明白な瑕疵があるから無効である。と述べ、

被控訴代理人は、

被控訴人の従来の答弁に反する控訴人の主張事実はすべて争う。と述べた。

(証拠省略)

理由

一、控訴人が、昭和二〇年九月一七日大阪控訴院書記を、昭和二一年一二月三一日大阪地方裁判所書記を、昭和二二年五月三日裁判所事務官を命ぜられ、爾来同裁判所事務官裁判所書記(昭和二四年七月一日兼ねて裁判所書記官補となる)として勤務していたこと、及び、被控訴人が、昭和二四年九月一三日原判決末尾添付処分説明書記載の事由を以て控訴人を免職処分に付したことは、当事者間に争のないところである。しかして、成立に争のない甲第五、七、八号証同第一〇号証の三同第一五号証の一、二同第一八号証同第二〇号証の一乃至六乙第一乃至六号証同第九号証の一、二同第一〇号証原審証人北林甚太郎の証言(第一回)により真正に成立したものと認める甲第一〇号証の一、二同第一一号証弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第一六号証当審証人藤原菊千代の証言により真正に成立したものと認める同第二一号証の一、乃至三原審並びに当審証人鈴木敏夫同小原仲同寺尾正二同山下朝一同平岡徳造(原審は第一、二回)同藤原菊千代(一部)原審証人河野孝道同上田明信同浜本一夫同北林甚太郎(第一、二回の一部)、同馬淵健三(一部)同増田裕(一部)の各証言及び原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果の一部を綜合すると、次の事実が認められる。即ち、

(1)  控訴人は、大阪控訴院に勤務中は専ら刑事部公判立会書記として、大阪地方裁判所勤務中は前半刑事部の公判立会書記として後半即ち昭和二三年一一月一日以降は刑事部訟廷課謄写係長としてその職務に従事していた。

(2)  大阪裁判所職員労働組合は、大阪控訴院大阪地方裁判所管内書記雇傭人を主体として昭和二一年一一月一六日結成され、その後昭和二二年一月二五日全国司法部職員労働組合が結成されたのでこれに加盟し、全国司法部職員労働組合大阪支部となつたのであるが、右組合結成当初は、職制の幹部が組合幹部となつて組合執行部の要職を占めていた関係もあつて、裁判所当局との間も大した対立関係もなく比較的円満な状況にあつた。しかして、当時右組合においては、職制幹部等を構成員とする人事委員会なるものを組織し、裁判所当局に対し職員の配置転換等人事行政の執行につき組合として意見希望等を上申し、被控訴人においても、右人事委員会の上申した意見希望等を参酌して、職員の配置転換をなすことが多かつた。

(3)  控訴人は、右組合結成当初から執行委員に選ばれ、実行部宣伝課の長として組合活動をなし、当時執行副委員長をしていた訴外藤原菊千代と共に専ら組合事務をとつていたところ、昭和二三年一〇月訴外増田裕が秘書課から刑事訟廷課の庶務係に配置換となり同組合の書記長となつて同人が一身上の都合から書記長を辞めた昭和二四年五月頃まで組合事務をとつた。ところで、昭和二三年一一月刑事部訟廷課に謄写係長なる職が創設せられ、その職務内容が、判決等裁判書の原本をタイプするタイピストの指導監督各タイピストに対する裁判書原稿の配分等を主なものとし、比較的閑職であつたので、同組合は、特に組合活動に熱心であつた控訴人を謄写係長に推薦し控訴人をしてその余力を以て組合事務を執らしめようと考えるに至り、前記人事委員会が被控訴人に対し控訴人を謄写係長とされたい旨希望を上申したところ、昭和二三年一一月一日控訴人が右謄写係長を命ぜられ、爾来控訴人は増田裕等と共に組合事務を行つてきた。

(4)  終戦直後、我が国の官吏制度の宿弊を是正し、民主的且つ能率的な公務員制度の樹立が要請せられ、昭和二二年一〇月二一日国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準を樹立し、職員がその職務の遂行に当り最大の能率を発揮し得るように民主的な方法で選択され且つ指導されるべきことを定め、以て、国民に対し公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的として、国公法が制定公布され、同年一一月一日から施行せられたが、同法は、国家公務員たる職員は国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならず、(同法第九六条第一項)その職務を遂行するについて法令に従い且つ上司の職務上の命令に忠実に従わなければならず、(同法第九八条第一項)その官職の信用を傷つけ又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならず、(同法第九九条)又人事院規則の定める場合を除いてはその勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い政府のなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない、(同法第一〇一条第一項前段)旨規定し、公務員たる職員に対する基本的な服務基準を確立したのであるが、同法の制定施行後においても、全官公労の労働運動は激しさを増し、昭和二三年七月五、二〇〇円ベースをめぐる団体交渉中労委提訴を経て冷却期間の満了する同年八月七日争議突入が予想せられるに至り、同年七月二二日連合国最高司令官の芦田内閣総理大臣宛書簡が発せられ、国公法を改正し公務員の団体交渉権罷業権を否定することを要請したため国公法の改正等国会による立法が成立実施されるまでの臨時措置として、同月三一日政令第二〇一号を以て「昭和二三年七月二二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」が公布即日施行され、当時一般職に含まれていた裁判所職員その他国家公務員のいわゆる団体交渉権の否定同盟罷業怠業的行為の禁止態勢がとられ、次いで、同年一〇月発次官通牒により、職員団体に関する事務に専従する職員は一般的に登録職員団体の代表者又は役員に限られしかも休暇を得てのみなし得る旨通告され、従来勤務時間中に事実上上司の放置又は黙認裡になされていた職員の右組合活動が大幅に制限され、その後、昭和二四年五月九日人事院規則一四―一、及び同一五―三が施行せられ、右趣旨が明文化されるに至つたことは、顕著なところであるが、右の如き情勢下において、全国司法部職員労働組合大阪支部も、昭和二三年中頃からは、従前の微温的な性格を脱皮し、その組合活動は漸次活溌化していつた。

(5)  前記の如く、控訴人は昭和二三年一一月一日刑事部訟廷課謄写係長になると共に、組合事務をも執ることになつたのであるが、当時既に同組合の組合活動も活溌化の一途を辿つていて、組合事務の繁忙をみるに至つたので、組合活動にも熱心であつた控訴人は、謄写係長としての本来の職務を執りながら、勤務時間中に組合事務所に赴き、組合事務に従事するようになり、謄写係長としての自席を離れることが漸次多くなり、勤務時間中その半分程度は組合事務所で組合事務を執つていた。

(6)  又、控訴人は、組合の情報宣伝係として大阪地方裁判所構内に指定設置されていた組合掲示板に情報乃至宣伝文の掲示をなしていたものであるが、当時右掲示板に掲示された記事の内容及びその表現については誇張激越の感を抱かしめるものが多く、裁判所内外の者の顰蹙をかつていた。

(イ)  穂積最高裁判所判事が大阪高等裁判所並びに大阪地方裁判所に視察のため来庁した昭和二四年六月九日当日、控訴人は、右掲示板に、「穂積天皇奉迎式!!」と題し「鈴木高等裁判所事務局長は、中村会計課長以下を陣頭指揮して、玄関及び廊下の水洗いをし云々」なる一文を掲示した。右は穂積最高裁判所判事が、視察のため来庁するに際し、裁判所事務当局において、その来庁前日に、庁内の清掃作業をなし、殊に裁判所玄関附近の床面廊下等を水洗いして縄張りし、同判事の来庁当日まで同所附近の通行を禁止する措置に出たため、これを批判したものであるが、右表現が穏当を欠き、裁判所事務当局の態度を揶揄し、且つ、穂積最高裁判所判事に対しても非礼にわたることになるとの印象を裁判所当局に与えた。そして、大阪地方裁判所事務局長平岡徳造等が、組合事務所に赴き交渉した結果、組合は、「穂積天皇」という文言を削除訂正した。

(ロ)  又、控訴人は、同年六月二〇日、右掲示板に、縦二尺六寸横三尺六寸大のザラ紙に墨書した「裁判所を含む全官公吏百万一日スト」と題し「賃金標準の引上げが遅れているに抗議して、十五日二十四時間ストを行つた模様である。これは、人民の生活を根底から破壊し、売弁的飢餓輸出入による産業の滅亡と税金による収奪を反動内閣に身を以て要求する切実なる叫びである。フランスの出来事(パリ発ロイター共同)。」なる掲示文を掲示した。

(7)(イ)  控訴人は、同年七月初頃、ソ連に抑留されていた邦人の同年度第一回引揚者が大阪駅に到達した際、勤務時間中にも拘らず、他組合員と共に、上司の許可を得ず無断で、大阪駅に右引揚者を出迎えに行き、

(ロ)  又、控訴人は、同年七月頃、勤務時間中にも拘らず、大阪高等裁判所事務局室に入り、上司又は室内職員の許諾を得ることなく、声高に公務に関係のない組合ニユースを読上げた。

(8)  ところで、昭和二三年中頃以降、全国司法部職員労働組合大阪支部の組合活動の活溌化に伴い、時に正当な組合活動の範囲を逸脱し裁判所当局の注目をひくところであつたが、特に控訴人に対しては、同人が謄写係長となり組合事務を執行するようになつてから、勤務時間中屡々自席を離れ組合事務所において組合事務の執行に従事していたため、本来の謄写係長の職務の遂行に誠実さを欠き、判決原本の浄書を遅延しているとの非難の声も裁判官の間で聞かれるようになり、又、大阪地方裁判所常任委員会の席上においても、控訴人の行つている組合活動が正当な組合活動の範囲を逸脱しているとの意見が交わされるに至つた。そして、同裁判所の定例常任委員会においては、前記の如き正当な組合活動の範囲を逸脱して裁判所内部の規律を紊る者に対して、適当な機会に相応の措置を構じ、紊乱した裁判所内部の規律を是正すべきことが考慮されていた折柄、偶々、昭和二四年八月初旬頃、最高裁判所から大阪地方裁判所長小原仲に対して、職務を等閑にして勤務時間中組合活動に専念し国家公務員たる司法職員の責務を尽さず裁判所内部の規律を紊乱する職員を調査報告するようにとの命令があり、しかも、右調査は所長上席判事及び事務局長の三名で密かになすようにとの指示がなされていたのであるが、右小原所長は、最高裁判所の指示どおり所長以下三名でこれが調査をなすことは困難でもあり、又この機会にかねて懸案であつた裁判所内部の規律の是正をはかるべきであると考え、その頃数回にわたり、緊急常任委員会を開催して、常任委員に対し、職務を等閑にして勤務時間中組合活動に専念し裁判所職員としての責務を尽さず裁判所内部の規律を紊乱している職員の調査とこれに対する措置について提議し、常任委員会において、これが調査活動をなすに至つたのであるが、右常任委員の一部には、当時我が国が太平洋戦争に敗れ連合国軍の占領下にあつて間接管理を受けていたことと当時の政治社会状況から、この時機に前記の如き組合活動の行過ぎをなした者を調査し該当者に対する措置を審議するに至つたのは、連合国最高司令部の命令又は指示によるものであろうと、憶測した者もあつて、常任委員会は、事態を重視し、かねて前記の如く勤務時間中自席を離れ組合活動をなし且つ正当な組合活動の範囲を逸脱した言動をなしている者として話題になつていた控訴人及び訴外三浦昭、同加藤弘和の三名をこの際処分し最小限度の措置を以て事態を収束しようとの結論に達し、右控訴人等三名の処分を検討するうち、控訴人に対しては前記一の(5)乃至(7)に認定したような勤務状況言動等に徴し国家公務員(裁判所事務官兼書記官補)としての適格性を欠き且つその勤務実績も不良であるから右三浦昭加藤弘和と共に免職処分に付するを相当とすることに決し、昭和二四年九月一三日の大阪地方裁判所裁判官会議に右控訴人等三名を免職処分に付することの可否に関する件を緊急議題として提出することになつた。

(9)  昭和二四年九月一三日の大阪地方裁判所裁判官会議は、同日午後三時から午後八時まで本庁三階会議室において開催された。同裁判官会議の構成員は、六六名定足数は三三名であるが、当日出席した構成員は、判事二六名、判事補(判事補の職権の特例等に関する法律第一条の規定により判事の職務を行わしめる者に指名されたもの)一二名、外に、傍聴者(構成員としての資格のない判事補)七名であつた。そして、先ず裁判官会議の議長である小原所長が、緊急議題として書記官補乾徳蔵同加藤弘和雇三浦昭の三名を国公法第七八条により処分するの可否に関する件を提出し、提案理由として常任委員会において数回慎重審査した結果早急に本会議の議決に付する必要ありと認めて提出した旨述べ、常任委員より、それぞれ控訴人等三名の従来の性格素行勤務状況、言動等(控訴人の勤務状況、言動については、前記一の(5)乃至(7)記載のとおり)について説明し、右議題の審議に入つた最初に、処分対象者である控訴人等三名の性格素行勤務状況、言動等について裁判官会議出席者の間において意見が交わされたが、控訴人及び加藤弘和については、かつて同人等を立会書記として共に裁判事務を執つたことのある裁判官から同人等のその当時の執務振り性格等について意見を述べる者もあつて、その内には、控訴人にとつて不利な陳述もあつたが、又控訴人がその立会書記として勤務当時は事務処理の態度も熱心で調書作成も速くその成績は良好であつた旨の有利な陳述もなされた。次いで、右裁判官会議において明らかにせられた控訴人等三名の性格素行勤務状況及び言動等が国公法第七八条第一号第三号に該当するかどうか免職処分に付すべきものかどうかについて論議がなされ、その間、右議案提出の動機について、外部からの何等かの示唆に基くものではないかとの質問があり、その点は明らかにされるところはなかつたが、慎重審議の結果、控訴人等三名を国公法第七八条第一号及び第三号により免職処分に付すべきことを可とするもの二一名、否とするもの九名で、控訴人等三名を免職処分に付することに決せられ、被控訴人は、前記処分説明書記載の事由を以て控訴人を免職処分に付したものである。

右認定に反する原審証人北林甚太郎同馬淵健三同増田裕原審並びに当審証人藤原菊千代の各証言部分及び原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果の一部並びに成立に争のない甲第二及び第九号証の各記載は措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二、控訴人は、被控訴人が控訴人に対してなした本件免職処分は無効である旨主張するので、以下順次判断する。

(一)  控訴人の、国家公務員の労働関係は公務員と国との間の公法上の契約関係であり、国家公務員の免職処分は公法上の契約の解除で行政処分に属せず、本件免職処分の効力については契約の一般原則に従うべきもので、その無効を判断するには重大且つ明白な瑕疵の存在を要しないとの主張について、

本件は、当時国家公務員の一般職に含まれていた裁判所職員なる控訴人が、その任命権者で司法行政機関として行政庁なる被控訴人から、分限処分としての免職処分に付されたのに対し、その処分の無効確認を求めるものであるところ、国家公務員の任命行為は、任命される個人を国家公務員の地位につかしめ、国公法等の定めるところにより俸給権恩給権はもとよりその地位を保持する権利を得さしめると共に、前記一の(4)において説明したとおりの特種の服務義務を負わしめるものであつて、その勤務関係は、単に経済的な労務を給付する関係ではなく、国民全体の奉仕者として公共の利益のため勤務する関係であつて、私企業の労働者と企業者又は資本家との間の対当な私的関係とは異なるから、それは公法関係と認むべきであり、国家の任命の意思表示に対し、その個人の任命の承諾は、国家公務員となろうとする意思表示であり、同一の内容を有する国家とその個人双方の意思が相俟つて任命の効果を生ずるものであつて、その任命行為は、公法上の契約であると解するのが相当である。ところで、その国家公務員の分限処分としての免職処分は、もとより、公権力の主体たる国が行政上の客体である国民に対して直接その権利義務を形成し或はその範囲を確定するところの普通の行政処分とは異るけれども、右任命行為によつて国家公務員となつたものは、前記のとおり、国公法等の定めるところにより特種の権利を得ると共に、一般国民の国家に対する義務とは異つた特別の義務に服するものであつて、その分限処分としての免職処分は、その任命権者である行政庁が、公務の能率を維持し若しくはその適正な運営を確保するため、その意に反して、国家公務員たる地位を一方的に消滅せしめる処分であり、その処分に不服ある者は当時施行の同法第九〇条乃至第九二条人事院規則一三―一(昭和二四年八月二〇日施行)の定めるところに従い、人事院にその審査を請求し、その判定につき再審の請求も許されておるものであるから、右免職処分は、行政庁の行政処分と解するのが相当である。しかして、行政処分が無効であるというためには、単に処分に瑕疵があるというだけでは足らず、その瑕疵が重大且つ客観的に明白でなければならないものというべきである。

控訴人の右主張は、独自の見解であつて、採用し難い。

(二)  控訴人の、裁判所は、本件免職処分の理由につき、勤務実績不良を理由とする免職処分のみにつき審判する権限を有するにすぎず、適格性の有無につき審判する権限を有しない、との主張について、

本件訴訟は、被控訴人が控訴人に対して国公法第七八条第一号(勤務実績不良)及び第三号(官職に必要な適格性を欠く)に該当する事由ありとしてなした免職処分に無効原因たる瑕疵が存することを主張しその無効を確定しその効力(表見的ではあるが)の除去を目的とする確認訴訟であるから、本件について裁判所が審理する対象は、本件免職処分に無効原因たる瑕疵が存在するかどうかという点である。しかして、被控訴人のなした本件免職処分は、控訴人の具体的行為を綜合して客観的に認められる控訴人の勤務実績の不良及び適格性の欠如を事由とするものであつて、その個々の具体的行為そのものが処分事由となるものではない。従つて、かかる訴訟にあつては、本件免職処分の無効を主張する控訴人は、その処分に無効原因たる重大且つ明白な瑕疵があることを具体的事実に基いて主張立証することを要し、処分庁である被控訴人は、処分説明書或は裁決書再審書に掲げられている控訴人の行為ばかりでなく、処分当時までになされた控訴人の他の行為をもその処分の正当なことの事由として主張することができるものであつて、裁判所は、控訴人の勤務実績が不良かどうか適格性を欠くかどうかの点について、処分当時に客観的に存する事実を全部斟酌して、本件処分の無効原因の存否を判断することができるものと解するのが相当である。

この点に関する控訴人の主張も、独自の見解であつて採るを得ない。

(三)  控訴人の、本件免職処分が憲法第一八条第一九条第二一条第二八条国家公務員法第九八条第三項労働基準法第三条に違反するとの主張について、

控訴人は、本件免職処分は、いわゆるマツクアーサー書簡によるレツドパーヂの先駆として、当時の占領軍に迎合し労働組合に対し露骨な弾圧政策をとつた吉田内閣の指示に従い、または、外部からの超憲法的示唆により、被控訴人のなした処分に外ならず、右は、思想の自由を侵害し、控訴人の労働組合員としての活動を不当に圧迫し、正当な信念的行動をもつて不適格性の理由としてなしたもので、前記憲法国公法労働基準法の各条項に違反し、無効である、と主張する。

しかしながら、吉田内閣が、被控訴人に対し、控訴人のいう労働組合弾圧政策の一環として控訴人等労働組合幹部を免職処分に付すべき旨指示し、被控訴人が、その指示に基き、本件免職処分をなしたとの事実を認め得る何等の証拠もない。又、進駐軍の示唆により、控訴人の抱壊する思想を問題視し、本件免職処分がなされた、旨の控訴人の主張に符合する、原審証人馬淵健三同増田裕原審並びに当審証人藤原菊千代の各証言部分及び原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果の一部は、前記一に掲記の各証拠と比照し措信することができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。尤も、本件処分案が、常任委員会から裁判官会議に提出された経緯としては、前認定のとおり、常任委員の一部には、当時の政治社会状勢から、当時組合活動の行過ぎをなした者を調査し該当者に対する措置を審議するに至つたのは、連合国最高司令部の命令又は指示によるものであろうと、憶測した者もあつて、常任委員会として、かねて、勤務時間中自席を離れ組合活動をなし、且つ、正当な組合活動の範囲を逸脱した言動をなしている者として話題になつていた控訴人等三名を、この際処分して事態を収束しようと考えたものであり、裁判官会議においても、出席裁判官の一部から、外部からの何等かの示唆に基くものでないかとの質問がなされたものであつたが、常任委員会においても、裁判官会議においても、終始控訴人等の性格素行勤務状況及び言動等(控訴人の勤務状況言動については前記一の(5)乃至(7)記載のとおり)が国公法第七八条第一号及び第三号に該当するかどうか免職処分を相当とするかどうかとの観点から審議され議決がなされたものであつて、連合国最高司令部等からの命令又は指示があつたとする右憶測が本件免職処分の帰趨に決定的影響を与え、裁判官会議が自主的判断を失つて機械的に処理し、以て思想を罰するような違法な処分をした事実を認め得る何等の証拠もない。更に、被控訴人が、控訴人を前記組合員として正当な組合活動をなした信念的行動を差別的に取扱い免職処分に付したものと認め得る証拠はない。なお、最高裁判所から大阪地方裁判所長に対して正当な組合活動の範囲を逸脱してその責務を尽さず裁判所内部の規律を紊乱する職員を調査報告するようにとの命令があり、それが本件免職処分の端緒となつたことは前認定のとおりであるが、司法行政の最高監督権者として、下級裁判所及び全裁判所の職員を監督する権限を有する最高裁判所が、下級裁判所たる大阪地方裁判所の所長に対し、右の如き命令を発したことは、右司法行政上の権限に基くもので、もとより、正当なものといわなければならない。

してみると、本件免職処分には、控訴人主張の如き、憲法国公法並びに労働基準法の各条項違反の瑕疵があるものと認めることはできない。

(四)  控訴人の、本件免職処分説明書記載の事実の捏造乃至国公法第七八条第一号第三号による本件免職処分の違法の主張について、被控訴人が、控訴人に何等国公法第七八条第一号及び第三所定の分限処分の事由に該当する具体的事実が存在しないのに、故ら、控訴人を免職処分に付するため、前記処分説明書記載の事実を捏造したと認め得る何等の証拠もない。

右処分説明書記載の本件免職処分事由は抽象的なものであるが、控訴人には前記一の(5)乃至(7)において認定した具体的事実があり、それが裁判官会議において論議の対象とされたものであることは前認定のとおりである。よつて、更に、右一の(5)乃至(7)において認定した事実が、国公法第七八条第一号及び第三号の分限処分事由に該当するかどうかについて判断する。

(1)  控訴人の、被控訴人において控訴人が勤務時間中組合事務を執行することを承認し然らずとするも黙示の承認を与えていたとの主張について、

大阪裁判所職員労働組合の結成、それが司法部職員労働組合大阪支部として発展し、その内部に人事委員会が組織され活動していつた経緯、及び控訴人の任官から刑事部訟廷課謄写係長としてその職務に従事すると共にその組合事務を執るに至つた経緯は、前記一の(1)乃至(3)に認定したとおりであつて、前記甲第二〇号証の一乃至六同二一号証の一乃至三原審証人北林甚太郎(第一、二回)同増田裕原審並びに当審証人藤原菊千代(原審は第一、二回)の各証言原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると、同組合は、結成と同時に、組合員等の生活物資の調達配給給与の繰上げ支給補給金の支給の要求執務環境の改善要求等の活動を行つてきたが、昭和二三、四年頃になると、組合員も増加し右の外委員会情報宣伝活動研究活動等組合事務も多くなつてきたこと、及び組合の財政的基礎もなかつたところから、国公法の施行されるまでは、組合員たる控訴人等において、勤務時間中事実上上司の放置又は黙認裡に、その組合活動を行つてきたことを肯認することができる。しかしながら、前記一の(4)において認定した如く、昭和二二年一〇月二一日国公法が制定公布され、同年一一月一日施行せられて、国家公務員たる職員の服務の根本基準が定められて、その職務専念義務が確立せられ、その後、昭和二三年一〇月次官通牒により、職員団体に関する事務に専従する職員は一般的に登録職員団体の代表者又は役員に限り休暇を得てのみなし得る趣旨が明らかにせられ、更に、昭和二四年五月九日人事院規則一四―一同一五―三が施行せられ、右趣旨が明定されるに至つたのであつて、控訴人が謄写係長になつた時及びその後に続く時期は、まさに当局が前記終戦直後の事態を是正しようと努力していた頃であるから、前記人事委員会の希望を容れ控訴人を謄写係長となしたことは、控訴人が専従的、乃至半専従的に勤務時間中組合事務を執ることを被控訴人において承認若しくは黙示の承認を与えていたものとは到底認めることはできない。被控訴人が控訴人に対し本件免職処分をなした当時まで、控訴人が勤務時間中組合事務を執ることを被控訴人において承認若しくは黙示の承認を与えていた、旨の控訴人の主張に符合する、原審証人北林甚太郎原審並びに当審証人藤原菊千代の各証言原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果は措信し難く、甲第一八号証同第二三号証の一、二は右認定を妨げる資料とならず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  控訴人の、国公法第七八条第一号に該当しないとの主張について、

国公法第七八条第一号にいう勤務実績とは、職員が割当てられた職務と責任を遂行した実績、即ち、執務上の成果と解すべきものである。ところで、控訴人は、昭和二三年一一月一日刑事部訟廷課謄写係長になつてから、当時既に正規の手続を経なければ組合の事務を専従することは許されなかつたのに拘らず、その手続をなさず、妄に、勤務時間中自席を離れ、組合事務所に赴き、組合の事務を執ることが多く、その勤務時間中上司の許可を得ないで組合活動をなしていたものであつて、当時裁判官の間で、判決原本の浄書が遅延するという非難の声があつたことは前認定のとおりであつて、原審証人平岡徳造の証言(第一回)により真正に成立したものと認める乙第七号証の一、二(控訴人が人事院に対し本件免職処分に関し審査請求をなした際被控訴人から控訴人の勤務成績不良を証するため提出された資料)によると、控訴人が謄写係長として勤務していた昭和二四年三月一二日以降免職処分に付せられた直前までの謄写係の判決等浄書の一件当り所要日数は三、七五日強で、控訴人の後任者の勤務していた同年九月二六日から同年一二月二八日までのそれは二、六九日で、前者は後者に比し一、〇六日多く要していること、並びに、控訴人が謄写係長として勤務していた同年三月一二日から同年九月一一日までと、その後任者の勤務期間中の同年九月二六日から同年一二月二五日までの謄写係において処理した件数とタイプ完成枚数との各月別の明細を検討すると、原判決末尾添付の別表記載のとおりであつて、タイプ完成枚数の点で、控訴人在任期間中のそれは、後任者勤務期間中のそれに比し、殆んど半分程度であつたことが認められる。尤も、前記甲第二〇号証の五、六、第二一号証の二、三、成立に争のない同第二四号証原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると、昭和二三年一一月控訴人が謄写係長に就任した当時、同謄写係所属のタイピスト数は三名でその陣容は整備されておらず、昭和二四年三月に至り、他の係に配置されていたタイピスト四名が謄写係の事務にも従事するようになり、同年五月に至り、同謄写係所属のタイピスト九名に増員され、同年九月、同タイピスト一〇名に増員されるに至つたものであること、同年七月下旬から八月末日までは、同係タイピストの内には二〇日以内の夏季休暇が与えられたものがあつたこと、また、控訴人が謄写係長をしていた期間の内には、裁判官の転勤移動により又は夏期休暇のため終結する事件数が少く判決原本の浄書の受付件数が他の期間に比し少い三、四月及び七、八月を含んでいたことが認められる。しかしながら、これらの諸事情を参酌しても、その事務処理状況において、控訴人の在任期間中と、後任者の在勤期間中との、執務上の成果の差異は余りにも甚しく、このような結果となつたのは、判決原本浄書の成果は、タイピストの能力勤情に関係するところが多く、その不成績の責任のすべてを謄写係長である控訴人の責任に帰せしめることは酷であるけれども、前認定のとおり、勤務時間中屡々長時間にわたり自席を離れ組合事務所において組合事務を執つていた間に、謄写係長としての職務遂行に欠くるところがあり、謄写事務渋滞の因をなしたものであつて、控訴人にその責任の一半を帰せられてもやむを得ないところと認めなければならない。しかして、原審並びに当審証人平岡徳造(原審は第一回)同小原仲同山下朝一、原審証人馬淵健三同上田明信の各証言と前記乙第二号証第九号証の一、二を綜合すると、乙第八号証(審査日付昭和二四年六月一九日の控訴人に対する裁判所書記勤務成績評定表の写)の原本は、昭和二四年六月一二日書記官昇任試験の資料として、大阪地方裁判所常任委員会において一応評定し、これを、同裁判所々長名義の評定書として作成されたものであることが認められ、これによると、控訴人の勤務成績は、平均点五〇点で四七名中四七位の成績不良なものであることが認められる。控訴人は、国公法七二名以下に規定する勤務成績の評定は所轄庁の長が適当と認める組織上の地位を占める者をして実施せしめるべきものであり、(人事院規則一〇―二第一条第一二条)従つて、勤務評定表の作成は所轄庁の長でなくその指示する本人の上司であり、所轄庁の長の責任において保管すべきものであると主張するが、右乙第八号証の原本が作成された当時には未だ人事院規則一〇―二は制定施行されておらず、勤務評定表の作成につき整備された規則はなかつたものであつて、所長名義で作成されていること並びに原本の現存しないことを以て、右乙第八号証の原本が真正に成立したことを否定する根拠となし難く、又、原審裁判所の調査嘱託に対する大阪地方裁判所長の昭和三四年二月二五日付回答書は右認定を妨げる資料となし得ない。なお、控訴人が、公判立会書記として勤務していた当時、その勤務成績が良好であつたとの事実は、謄写係長としての勤務実績不良の認定を妨げるものとはならない。

してみると、控訴人に勤務実績不良の事由があつたことは否定することができず、もとより、被控訴人がなした控訴人の勤務実績不良の処分事由の認定に、重大且つ明白な瑕疵があつたものとは到底認められない。

(3)  控訴人の、国公法第七八条第三号に該当しないとの主張について、

国公法第七八条第三号所定のその官職に必要な適格性を欠く場合とは、当該官職について当該職員の素質能力性格上国家公務員たるに適しない色彩があつて、それが簡単に矯正できない持続性を有し、ある一定の行為がその公務員についてかような不適格性の徴表と認められる場合をいうものと解するのが相当である。

ところで、前記一の(4)で説示した如く、国家公務員たる職員は、国民全体の奉仕者として公共の利益のため勤務し且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならず、その職務を遂行するについては法令に従い且つ上司の職務上の命令に忠実に従わなければならず、その官職の信用を傷つけ又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならず、また人事院規則の定める場合を除いてはその勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のため用い政府のなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならないのであつて、右は、国家公務員たる職員の基本的な服務義務であるところ、控訴人が前記一の(5)乃至(7)に記載のとおりの行為をなしたことは前認定のとおりであつて、控訴人は、昭和二三年一一月一日謄写係長になつてから、当時既に正規の手続を経なければ組合の事務を専従することは許されなかつたのに拘らず、その手続をなさず、妄に勤務時間中自席を離れ組合事務所に赴き組合の事務を執ることが多く、その勤務時間中上司の許可を得ないで組合活動をなしていたものであつて、且つ、その組合活動は、中正穏健であるべき裁判所職員としての正当な組合活動の範囲を逸脱したもので、前記国家公務員たる裁判所職員としての服務義務に違反するものというべく、右行為は、相当長期に亘り信念的行動と認むべきものであつて、反省を促しても容易に矯正できない持続性を有するものと認むべきものであるから、控訴人が国家公務員としての適格性を欠くものとなした被控訴人の認定には違法の点はないものというべきである。

(五)  控訴人の、本件免職処分が人事院規則一一―〇第一項及び第三項に違反するとの主張について、

人事院規則一一―〇(昭和二四年三月三一日施行)第一項には、国公法第七八条第一号の規定により職員を降任し又は免職することができる場合は考課表その他の勤務成績を評定するに足ると認められる客観的事実に基き勤務実績の不良なことが明らかな場合とすると規定し、又、同規則第三項には、同法条第三号の規定により職員を降任又は免職することができる場合は当該職員をその現に有する適格性を必要とする他の官職に転任させることのできない場合に限るものとすると規定している。

ところで、控訴人等に対する本件処分案が常任委員会から裁判官会議に提出され決議に至つた経緯は前記のとおりであつて、裁判官会議において本件免職処分の可否に関する件が審議せられるに当り、常任委員から控訴人等の従来の性格素行勤務状況言動等(控訴人の勤務状況言動については前記一の(5)乃至(7)記載のとおり)について説明があり、裁判官会議出席裁判官の間においてそれにつき意見が交わされ、控訴人等を公判立会書記として共に裁判事務を執つたことのある裁判官からその当時の同人等の執務振り性格等について意見を、述べるものもあつたものであり、又、これより先、控訴人の勤務評定表(乙第八号証の原本)が昭和二四年六月一二日書記官昇任試験の資料として常任委員会において一応評定され所長名義の評定表として作成されたものであることは前認定のとおりであつて、同裁判官会議の席上に右乙第八号証の原本その他控訴人の勤務成績評定表或は被控訴人が本訴において提出せる乙第七号証の一、二の控訴人の事務処理状況についての表が提出せられたことを認め得る証拠はないけれども、同規則第一項は、その勤務実績に関する客観的事実認定の資料として考課表等書面のほか具体的事実を調査知悉せる者の口頭による報告を排斥するものではないから、右裁判官会議において前記常任委員の説明なり出席裁判官の意見陳述により認められた控訴人の勤務状況並びに言動等からして控訴人の勤務実績の不良を認定したことが同規則第一項に違反しその瑕疵が重大且つ明白なものとは到店認めることができない。

次に、被控訴人が控訴人を免職処分に付するに当り同人に対し注意警告し反省の機会を与えたことを認め得る証拠はない。しかしながら、控訴人を免職処分に付するに至つた前叙の経緯に照し、被控訴人において、当時の諸般の状勢からして、控訴人に対し注意警告し反省の機会を与えてもこれを矯正することは不可能であり、他の官職に転任させることもできないものと認めたことはやむを得なかつたものとして是認することができ、これを以て、同規則第三項に違反するものとはいえず、もとより、右認定に重大且つ明白な瑕疵があるものとは到底認めることはできない。

三、してみると、被控訴人が昭和二四年九月一三日控訴人に対してなした本件免職処分にはこれを無効とすべき瑕疵は認められないから、その存在を前提とする控訴人の本件免職処分無効確認の請求は失当であつて、これを棄却した原判決は相当である。

よつて、本件控訴を棄却し控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小野田常太郎 安部覚 宮本聖司)

(別表省略)

原審判決の主文、事実および理由

主文

本訴請求中、免職処分無効確認請求は、これを棄却する。

本訴請求中、被告に対し身分回復並びに俸給弁済に必要な行政措置を命ずることを求める訴はこれを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十四年九月十三日原告に対してなした免職処分は無効なることを確認する。被告は原告が免職処分により失つた身分を回復し、右免職処分以後の俸給の弁済を受けるよう必要な行政措置を取らねばならない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

原告は、昭和二十年九月十七日大阪控訴院書記を、昭和二十一年十二月三十一日大阪地方裁判所書記を、昭和二十二年五月三日裁判所事務官を命ぜられ、爾来同裁判所事務官、裁判所書記(昭和二十四年七月一日兼ねて裁判所書記官補となる)として勤務していたところ、昭和二十四年九月十三日被告は原告を免職処分に付した。しかしながら、右免職処分は左の理由により無効である。

一、右免職処分は、いわゆるマツクアーサー書簡によるレツドパーヂの先駆(レツドパーヂという言葉は昭和二十五年になつてから使用せられ始めたが、国家公務員については昭和二十四年頃からこれと同一措置がとられた。その一は同年八月中旬法務関係職員に対し全国一斉に行われた追放であり、その二は同年九月中旬裁判所関係職員に対し全国一斉に行われたものである。)として、当時の占領軍に迎合し、労働組合に対し露骨な弾圧政策をとつた吉田内閣の指示に従い、または外部からの超憲法的示唆により、被告のした処分に外ならない。右のような処分は、思想の自由を侵害し原告の労組員としての活動を不当に圧迫したもので、憲法第十八条、第二十一条、第二十八条、国家公務員法(以下国家公法と略称する)第九十八条第三項に違反すること明かな行為で無効である。

二、被告が免職処分の理由として掲げた事実は、いずれも不存在である。即ち、被告は全く虚無の事実を捏造して処分理由としたものであり、このように根も葉もない事実を原告に無理に押付けてなした免職処分は無効である。

仮に被告の掲げた免職処分の理由たる事実の中一部存在するものがあつても、右の部分は国公法第七十八条第一号、第三号のいずれにも該当しないから、この双方に該当するものとしてなした被告の免職処分は無効である。そもそも、右第三号にいう不適格とは当該官職に必要な専門的智識、能力、素質等を指す点において道義的責任を追及する懲戒とは異るものである。即ち、当人の責に帰すべきか否かを問わず行政事務の運営とか能率の面にのみ着眼して官職から排斥することを目的とする。しかるに被告が本件処分の理由とするところは、個々の行為の責任を追及するものであつて適格性とは無関係であり、些末な事実ばかりで懲戒処分としての戒告にすら値しない。いわんやこれを不適格を認める根拠とすることは到底できないことである。仮に、本人の性行や習性も適格性に含まれるとしても、国家公務員に適しない性行や習性が矯正の見込がないか少くとも容易に矯正できない持続性を持つていなければならず、原告に対しては反省の機会が全く与えられていないのであるから、本件処分理由たる事実を以てしては原告を不適格者とすることをえないものである(さればこそ本件処分を審査した人事院が、その審査において不適格性に関する被告の主張を排斥し第一号に該当する不成績の事実のみを認めて本件処分を承認したのであつて、この人事院の措置により本件処分の理由は勤務成績不良の点のみに限定せられたものと解すべきであるが、念のため不適格の点をも取上げることとする)。

三、(イ) 国公法第七十八条第一号による不利益処分は、考課表その他勤務成績を評定するに足る客観的事実に基き勤務実績の不良なことが明かな場合でない限り許されない(昭和二十四年三月三十一日施行の人事院規則一一―〇第一項)。ところが、被告が本件免職処分をなすに当つては、原告の勤務実績の不良を認むべき考課表またはこれに準ずべき資料は全然ない。第乙八号証の勤務評定書は人事院の審査に際し同院に提出するため特に作成せられたものである。この事は(一)御庁の昭和三十四年二月十八日附文書調査嘱託に対する回答による書記官選考における勤務評定表が大阪高等裁判所に送付せられた時期及び成績順位についての各記載と乙第八号証のそれぞれの記載とを比較対照することにより右回答にかかる文書は乙第八号証の原本ではなかつたものと認められ、これ以外には右原本の存在につき主張立証なく、結局この原本は当初より存在しなかつたというの外はない。(二)元来国公法第七十二条以下に規定する勤務成績の評定は、人事の公正な基礎とするために所轄庁の長が適当と認める組織上の地位を占める者をして実施せしむべきものであり(人事院規則一〇―二第一条第十二条)、従つて勤務評定表の作成は所轄庁の長でなくその指示する本人の上司であり、所轄庁の長の責任において保管すべきものである。然るに乙第八号証の原本と称せられるもの(仮にそれが存したとしても)は、裁判所長が作成したこととなつておる点、最高裁判所が廃棄したこととなつている点からして、通常の勤務評定表ではない。かくの如く書記官選考のために作成されたものでもなく通常の勤務評定表でもない奇怪な勤務評定表は人事院の審査を有利に導くため特に作成せられたものと認める外途がない。かくて被告は、考課表は勿論その他いかなる種類の客観的事実にも基くことなくして本件免職処分をなしたものである。仮に乙第八号証が当時存在しこれが真正に作成された勤務評定表を所長名義を以て正写したものであるとしても、同証は本件免職処分を議決した裁判官会議に提出されておらず、同会議は右書面に基かずに原告を免職処分に付することを決した。のみならず、右乙第八号証は人事院規則の定める資料でないのは勿論、その他原告の勤務実績の不良なことを認めるに足る如何なる客観的資料も裁判官会議に提出せられていない。国公法第七十八条第一号による不利益処分の瑕疵としてこれ程重大且つ明白なものはない。

(ロ) 国公法第七十八条第三号の規定による不利益処分をすることのできるのは、当該職員の現に有する適格性を必要とする他の官職に転任させることのできない場合に限られる(前記人事院規則一一―〇第三項)。然るに本件処分に当つては右の要件が全く無視せられている。それどころか原告に対し事前に警告し反省を求め弁解の機会を与える等の措置を故ら回避し免職の機会を失うことをひたすら恐れるものの如く性急強引に処決したもので、本件処分の違法なることは明白である。

と述べ、被告の答弁に対し、

原告に対する処分理由とするところが別紙処分説明書記載のとおりであつた事実はこれを認めるが、その記載内容は別紙処分事由説明書記載内容の事情とともに悉くこれを否認する。

と述べ、仮定抗弁として、処分理由中「屡々自席を離れ正常な職務を行わず」と謳われている点に対し、

仮にそのような事実があつたとしても、それは次の如き事情に基くもので職務上の正当理由があつたものである。そもそも裁判所における労働組合が発足して間もない頃、昭和二十二年中の団体交渉において、職員が勤務時間中に組合の事務を執る問題につき協議が行われ、裁判所の快く承諾するところとなつた(もつとも、組合の仕事は半ば公務の色彩を帯びていたとはいえ職員が本来の公務を犠牲にして組合の事務に従事することは公然と認めるわけにはゆかぬので、職務の遂行に支障なき限りこれを認めることに落着いた)。そして当初は、訴外藤原菊千代と原告とが組合の事務を執る職員に職員中から選任され、翌二十三年頃から二名を一名に減らし書記長に訴外増田裕を選任した時から同人をして専ら組合の事務を執らせることとした。昭和二十三年十一月右増田辞任の後を受けて原告が組合事務をとることになつたが、右増田の場合とは異り謄写係長としての職責を果した上組合の事務に従事したものである。しかるところ、右昭和二十二年の承認はその後取消されたことはない。もつとも昭和二十四年八月八日附裁判所時報によれば最高裁判所は各下級裁判所の長に宛て「職員が勤務時間中に組合事務に従事することを許可してはならない」と通達した由であるが組合としては何等の指示をも受けていない。右通達は「勤務時間中に組合事務を執つていた職員に対し職場に復帰させるよう勧告せよ」と指示しているが、組合や原告はかかる勧告を受けていない。右通達は従来職員が勤務時間中に専ら又は勤務時間中その一部を割いて組合事務に従事することを許可され若くは黙認されていたことを前提とし将来に向つて指示しようとするものであるから、仮に右通達の趣旨を職員に周知せしめる措置がとられたとしても、右以前の行為を理由とししかも事前に何等警告乃至職場復帰の勧告もしないで抜打的に不利益処分をすることは違法である。なおまた組合結成後間もなく組合に設けられた人事委員会の決定は、概ね公正妥当なものとして裁判官会議も尊重し、むしろ組合の協力を求めてこれを利用する傾向さえあつた。従つて、組合の事務は広い意味では一種の公務ともみることができ、原告は組合事務の中経常的なものを除きすべて組合機関の決定、または執行委員会の指揮に従つて処理していたのであるから、別紙処分説明書に免職事由として掲げられた原告の行為についてはすべて組合に責任が帰せらるべく、多少の行過ぎがあつたとしても原告同人が問責せらるべきものではない。

と述べ、

立証<省略>

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め答弁として、

原告主張事実中、冒頭より被告は原告を免職処分に付したまでの事実はこれを認める。原告が本件処分の違法性の根拠として述べる事実は以下において認めるものを除きすべて否認する。

被告が原告を免職処分に付した理由は別紙処分説明書記載事実並びに処分事由説明書記載事実に基くものであつて、右事実による本件免職処分は国公法の条項に該当すること明白で適法な処分である。

原告は本件をレツドパーヂであるとするが、レツトパーヂは、昭和二十五年七月十八日附アカハタ追放のマ書簡に始まるもので、それより遥に以前である本件処分がレツドパーヂではあり得ない。連合軍最高司令官またはこれに属する者から原告を指定して免職せしむべしとの命令、指示、示唆があつた事実はない。仮に常任委員の一部でかかる想像をしていたとするも、原告を処分する権限は大阪地方裁判所の裁判官会議に属し、この会議こそが最終の意思決定機関であり、本件免職処分を決定した昭和二十四年九月十三日の裁判官会議において原告主張のような総司令部の命令、指示、示唆の如きは一切報告されて、おらず、原告が国公法に基く免職処分に値するか否かにつき十分論議された上、本件処分が賛成二十一、反対九で可決決定されたものであり、本件処分が被告の意思に基く適法の処分であることはいうまでもない。

原告は処分当時の原告の有した官職につき適格性を欠いていた。別紙処分説明書記載の原告の行動は、すべて正当な組合活動を逸脱している。何となれば、すべて国家公務員たる者は国民の奉仕者として公共の利益のために勤務するのであるから、その組合活動は民間会社のそれと異つておるのは当然で、就中裁判所職員の組合活動は裁判所の使命に鑑み中正穏健であるべきで政治的偏向は許されないからである。処分説明書記載の如き正当な組合活動とみることのできない行為をした原告には、裁判所職員としての適格性を認めることを得ない。原告の言動が如何に過激であるかは本訴で原告自ら提出した書面からも窺知できる。

また原告の勤務成績の不良であつたことは、本件処分の数月前に行われた書記官への昇任試験に落第していること、謄写係長としての成績の上つていなかつたことからも十分認められる。

しかしておよそ行政処分の無効を主張するにはその処分の瑕疵が重大な法規違反であり且つ瑕疵の存在が外観上も明白でなければならぬものとされるのであるから、仮に本件処分に法規違反があつたとしても、右は原告の人事委員会への提訴再審がいずれも却下された点からみて重大なものであつたということはできず、また法規違反(国公法第七十八条第一号第三号違反)があるかどうかは原告の主張を以てしても外観上明白とはいえない。外観上明白ならば人事委員会で救済される筈である。なお本件は行政処分に関するから民事上の解雇についての権利乱用論も直に適用すべきものではない。

よつて本件免職処分は適法有効であるから、原告の本訴請求は棄却せらるべきものである。

と述べ、原告の抗弁事実を争い。

立証<省略>

理由

一、(一)、当事者間に争いのない事実

原告が昭和二十年九月十七日大阪控訴院書記を、昭和二十一年十二月三十一日大阪地方裁判所書記を、昭和二十二年五月三日裁判所事務官を命ぜられ、爾来同裁判所事務官、裁判所書記(昭和二十四年七月一日兼ねて裁判所書記官補となる)として勤務していたこと及び被告が昭和二十四年九月十三日別紙処分説明書記載の事由を以て原告を免職処分に付したことは、当事者間に争いがない。

(二)、被告が原告を免職処分に付するに至つた経緯成立に争いのない甲第五、第七及び第八号証、同第十号証の三、同第十五号証の一、二、同第十八号証、乙第一乃至第六号証、同第九号証の一、二、同第十号証、証人北林甚太郎の証言(第一回)により真正に成立したと認める甲第十号証の一、二及び同第十一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第十六号証、証人鈴木敏夫、同小原仲、同寺尾正二、同河野孝道、同上田明信、同浜本一夫(一部)、同藤原菊千代(但し後記措信しない部分を除く)、同山下朝一、同北林甚太郎(第一、二回、但し第一回証言中後記措信しない部分を除く)、同平岡徳造(第一、二回、但し第一回証言中後記措信しない部分を除く)、同馬淵健三(但し後記措信しない部分を除く)、同増田裕(但し後記措借しない部分を除く)の各証言並びに原告本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)を綜合すれば、次の事実を認定することができる。

(1)、原告は、昭和二十年九月十七日大阪控訴院書記に任命されてから免職処分に付せられた昭和二十四年九月十三日までの間に冒頭掲記の如き官職を経たものであるが、大阪控訴院に勤務中は専ら刑事部公判立会書記として、大阪地方裁判所勤務中は前半刑事部の公判立会補充書記として、後半即ち昭和二十三年十一月一日以降は刑事部訟廷課謄写係長としての職務に従事していた。

(2)、大阪裁判所職員労働組合は、大阪控訴院、大阪地方裁判所管内書記、雇、傭人を主体として昭和二十一年十一月十六日結成され、その後昭和二十二年一月二十五日全国司法部職員労働組合が結成されたのでこれに加盟し、全国司法部職員労働組合大阪支部となつたのであるが、右組合結成当初は職制の幹部が組合幹部となつて組合執行部の要職を占めていた関係もあつて、裁判所当局との間も大した対立関係もなく比較的円満な状況にあつた。

そして、当時右組合においては職制幹部等を構成員とする人事委員会なるものを組織し、裁判所当局に対し職員の配置転換等人事行政の執行につき組合としての意見、希望等を上申し、大阪地方裁判所においても右人事委員会の上申した意見、希望等を参酌して職員の配置転換をなすことが多かつた。

(3)、原告は右結成当初から執行委員に選ばれ、実行部宣伝課の長として組合活動をなし、当時執行副委員長をしていた訴外藤原菊千代とともに専従職員として専ら組合事務をとつていた。その後昭和二十三年一月頃から全国司法部職員労働組合大阪支部の書記長になつた訴外増田裕が秘書課から刑事訟廷課の庶務係に配置転換になり、右組合の専従職員となつて訴外柏下某を補助者として組合事務を専行していたが、その後右増田裕が一身上の都合から書記長を辞め組合事務の執行も辞退したので、右組合としては同人の後任者として組合事務執行の担当者を選定する必要に迫られたところ、偶々その頃刑事部訟廷課に謄写係長なる職が創設せられ、その職務内容が判決等裁判書の原本をタイプするタイピストの指導監督、各タイピストに対する裁判書原稿の配分等を主たるものとし、比較的閑職であつたので、特に組合活動に熱心であつた原告を謄写係長に推薦し原告をしてその余力を以て組合事務を執らしめようと考えるに至り、前記人事委員会が大阪地方裁判所に対し原告を謄写係長とされたき旨希望を上申したところ、昭和二十三年十一月一日原告が右謄写係長を命ぜられたので、その後は原告が唯一人で組合事務を行つていた。

(4)、終戦直後我が国の官吏制度の宿弊を是正し民主的且つ能率的な公務員制度の樹立が要請せられ、昭和二十二年十月二十一日、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的として国家公務員法が制定公布されたが、同法制定後においても全官公労の労働運動は一層激しさを増し、昭和二十三年七月、五千二百円ベースをめぐる団体交渉、中労委提訴を経て冷却期間の満了する同年八月七日争議突入が予想せられるに至り、同年七月二十二日連合国最高司令官の芦田内閣総理大臣宛書簡が発せられ、国公法を改正し公務員の団体交渉権、罷業権を否定することを要請したため、国公法の改正等国会による立法が成立、実施されるまでの臨時措置として同月三十一日政令第二百一号を以て「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」が公布即日施行され、当時一般職に含まれていた裁判所職員その他国家公務員のいわゆる団体交渉権の否定、同盟罷業、怠業的行為の禁止態勢がとられ、ついで同年十月発次官通牒により、職員団体に関する事務に専従する職員は一般的に登録職員団体の代表者又は役員に限られしかも休暇を得てのみなしうる旨通告され、従来勤務時間中に事実上上司の放置又は黙認裡になされていた職員の右組合活動が大幅に制限され、その後昭和二十四年五月九日人事院規則一四―一及び同一五―三が施行せられ右趣旨が明文化されるに至つたことは顕著なところであるが、右の如き情勢下において、全国司法部職員労働組合大阪支部も昭和二十三年中頃からは従前の微温的な性格を脱皮し、自主前向きの態勢をとりその組合活動も漸次活溌化していつた。

(5)、前記の如く原告は昭和二十三年十一月一日刑事部訟廷課謄写係長になると共に組合事務をも執ることになつたのであるが、当時既に組合が自主前向きの態勢をとり組合活動も活溌化の一途を辿つていて組合事務の繁忙を見るに至つたので組合活動にも熱心であつた原告は、謄写係長としての本来の職務を執りながら勤務時間中に組合事務所に赴き組合事務に従事するに至り、謄写係長としての自席を離れることが漸次増加累積し、少くとも勤務時間中その半分程度は組合事務所で組合事務を執つていた。

(6)、また、原告は組合の情報宣伝係として大阪地方裁判所構内に指定設置されていた組合掲示板に情報乃至宣伝文の掲示をなしていたものであるが、当時右掲示板に掲示された記事の内容及びその表現については誇張激越の感を抱かしめるものが多く、裁判所内外の者の顰蹙をかつていた。

(イ)、穂積最高裁判所判事が大阪高等裁判所並びに大阪地方裁判所に視察のため来庁した昭和二十四年六月九日当日、原告は右掲示板に「穂積天皇奉迎式!!」と題し、「鈴木高等裁判所事務局長は、中村会計課長以下を陣頭指揮して、玄関及び廊下の水洗いをし云々」なる一文を掲示した。右は、穂積最高裁判所判事が視察のために来庁するに際し、裁判所事務当局において、その来庁前日に庁内の清掃作業をなし、殊に裁判所玄関附近の床面、廊下等を水洗いして縄張りし同判事の来庁当日まで同所附近の通行を禁止するという従来見られなかつた措置に出たため、これを批判したものであるが、右表現が穏当を欠き裁判所事務当局の態度を揶揄し且つ穂積最高裁判所判事に対しても非礼にわたることになるとの印象を裁判所当局に与えた。そして、大阪地方裁判所事務局長平岡徳造等が組合事務所に赴き交渉した結果、組合は「穂積天皇」という文言を削除訂正した。

(ロ)、また、同年六月二十日、右掲示板に縦二尺六寸、横三尺六寸大のザラ紙に墨書した「裁判所も含む全官公吏百万一日スト」と題し「賃金標準の引上げが遅れているに抗議して十五日二十四時間ストを行つた模様である。これは人民の生活を根底から破壊し売弁的飢餓輸出入による産業の滅亡と税金による収奪を反動内閣に身を以て要求する切実なる叫びである。フランスの出来事(パリ発ロイター共同)」なる掲示文を掲示した、

(7)、(イ)、原告は、同年七月初頃、ソ聯に抑留されていた邦人の同年度第一回引揚者が大阪駅に到着した際、勤務時間中にも拘らず、他組合員とともに上司の許可を得ず無断で大阪駅に右引揚者を出迎えに行き、

(ロ)、また、同年七月頃、原告は、勤務時間中にも拘らず大阪高等裁判所事務局室に入り、上司又は室内職員の許諾を得ることなく声高に公務に関係のない組合ニユースを読み上げる等の行為をした。

(8)、ところで、昭和二十三年中頃以降全国司法部職員労働組合大阪支部の組合活動の活溌化に伴い、時に正当な組合活動の範囲を逸脱し裁判所当局の注目をひくところであつたが、特に原告に対しては、同人が謄写係長になり組合事務を一人で執行するようになつてから、勤務時間中も屡々自席を離れ組合事務所において組合事務の執行に従事していたため、本来の謄写係長の職務の遂行に誠実さを欠き判決原本の浄書も遅延しているとの非難の声も裁判官の間で聞かれるようになり、また大阪地方裁判所常任委員会の席上においても、原告の行つている組合活動が正当な組合活動の範囲を逸脱しているとの意見が交わされるに至つた。そして、同裁判所の定例常任委員会においては、前記の如き正当な組合活動の範囲を逸脱して裁判所内部の規律を紊る者に対して適当な機会に相応の措置を講じ、紊乱した裁判所の規律を是正すべきことが考慮されていた折柄、偶々昭和二十四年八月初旬頃、最高裁判所から大阪地方裁判所所長小原仲に対して、職務を等閑にして勤務時間中組合活動に専念し国家公務員たる司法職員の責務を尽していない者を調査報告するようにとの厳命があり、しかも右調査は所長、上席判事及び事務局長の三名で密かになすようにとの指示がなされていたのであるが、右小原所長は、最高裁判所の指示どおり所長以下三名でこれが調査をなすことは困難でもあり、またこの機会にかねて懸案であつた裁判所内部の規律の是正をはかるべきであると考え、その頃数回にわたり緊急常任委員会を開催して、常任委員に対し、職務を等閑にして勤務時間中組合活動に専念し裁判所職員としての責務を尽していない者の調査とこれに対する措置について提議し、常任委員会においてこれが調査活動をなすに至つた。ところが右常任委員の多くは、当時我が国が太平洋戦争に敗れ連合国軍の占領下にあつて間接管理を受けていたことと、当時の政治、社会状勢から、この時機に前記の如き組合活動の行過ぎをなした者を調査し該当者に対する措置を審議するに至つたのは連合国最高司令部の命令又は指示によるものであろうと憶測し、事態を重大視したためか、かねて前記の如く、勤務時間中に自席を離れ組合活動をなし且つ正当な組合活動の範囲を逸脱した言動をなしている者として話題になつていた原告、外に訴外三浦昭及び同加藤弘和の計三名を此の際処分して累の他に及ぶことを避け最小限度の措置を以て事態を収束しようとの結論に達し、右三名の処分を検討するうち、原告に対しては既に認定したような勤務態度、言動等に徴し国家公務員(裁判所書記官補)としての適格性を欠き且つその勤務実績も不良であるから右訴外三浦昭、同加藤弘和の両名とともに免職処分に付するを相当とすることに決し、昭和二十四年九月十三日の大阪地方裁判所裁判官会議に右原告等三名を免職処分に付することの可否に関する件を緊急議題として提出することにした。

(9)、昭和二十四年九月十三日の大阪地方裁判所裁判官会議は、同日午後三時より午後八時まで本庁三階会議室において開催された。同裁判官会議の構成員は六十六名定足数は三十三名であるが、当日出席した構成員は、判事二十六名、判事補(判事補の職権の特例等に関する法律第一条の規定により判事の職務を行わしめる者に指名されたもの)十二名、外に傍聴者(構成員としての資格のない判事補)七名であつた。そして、先づ右裁判官会議の議長である小原所長が、緊急議題として右書記官、(正確には書記官補)乾徳蔵、書記官補加藤弘和、雇三浦昭の三名「国公法第七十八条により処分するの可否に関する件」を提出し、提案理由として、常任委員会において数回慎重審査した結果早急に本会議の議決に付する必要ありと認めて提出した旨述べ、常任委員よりそれぞれ右原告等三名の従来の性格、素行、勤務状況等について説明し、右議題の審議に入つた。最初に処分対象者である原告等三名の性格、素行、勤務状況等について裁判官会議出席者の間において意見が交されたが、原告と訴外加藤弘和の両名については、かつて同人等を立会書記として共に裁判事務を執つたことのある裁判官から、その当時の執務振り、性格等について意見を加える者もあつて、その中には原告等にとつて有利な陳述も、不利な陳述もあつた。就中原告については、寺尾正二裁判官から、原告が同裁判官の下で仕事をしていた当時の性格としては真面目で事務処理の態度は熱心であり、経験年数の少い割に調書作成も満足すべき成績と速度であつた旨有利な陳述もなされた。次いで処分対象である原告等三名を免職処分に付すべきか否かについては激しい論議が行われた。処分反対論者は、<1>裁判官会議において明にせられた処分対象者の行為が果して免職事由に該当するか、<2>過去の事実に基いて何故に今直ちに免職処分に付さねばならぬが、処分対象者本人に一度注意をし反省の機会を与える余地はないか、<3>特に国鉄の人員整理を頂点とする行政方面の人員整理が強行されている折柄、それに便乗して組合幹部の馘首が行われていると疑われるのではないか、客観的に見て相対的に労働組合の勢力が弱化した時機に組合活動を比較的熱心に行つて来たとみられる原告等三名を免職処分に付することのもつ意味を充分反省すべきであり、また裁判所は情勢便乗的な少くともそのような疑を受けやすい行動をしないことに誇りをもつべきでありその影響を充分に意識すべきである。との強い主張を展開し、これに対し処分賛成論者は、<1>原告等三名の行動は裁判所職員の行動としては常軌を逸したもので、裁判所職員として誠実にその職務を行う意思に欠けていると認められる、従つて原告等三名に対し注意し反省の機会を与えるとしても一時はその行動を慎しむであろうが情勢が変ればもとの態度に出る可能性が充分ある、<2>免職処分に付すべき時期は免職すべきものならば何時免職処分に付しても構わない、無用の混乱をひき起すことの少いと思われる時期を見て処分することは寧ろ適当な処置とせねばならない、<3>外部の情勢については裁判所内部の規律を犠牲にしてまで神経を用いる必要はない、と反論した。そして右以外に、右議題提出の動機について、裁判官会議出席裁判官から、小原所長並びに常任委員に対し、大阪高等裁判所及び最高裁判所をも含めた外部からの何等かの示唆に基くものではないか、若しそうだとすれば何人からのどのような示唆によるものであるかを明示されたい、との質問が執拗になされたが、この点については何等明かにされるところがなかつた。

そして、論議も漸く終結の機が熟したので、議長は採決に入りたい旨諮つたところ、異議がなかつた。そこで、議長は右議案につき直ちに賛否の採決をなすべきか或は他日の会議に持越すべきかの点につき賛否を問うたところ、直ちに採決すべきであるという意見が多数を占めたので、直ちに右議案の賛否を起立により問うた結果、原告等三名を免職するのを可とするもの二十一名、否とするもの九名となり、右裁判官会議は、「原告が昭和二十四年六月頃より屡々勤務時間中妄りに自席を離れ大阪高等並びに地方裁判所の事務官室等に立入り大声で公務に関係のないことを朗読し在室者の職務の執行を妨害したなどのこともありまた職務上の理由なく屡々自席を離れて正常な職務を行わずその為勤務の能率は著しく低くその勤務成績も甚だよくなく、右は国公法第七十八条第一号及び第三号に該当する。」と認めて、原告を免職処分に付したものである。

以上に認定したところに副わない証人藤原菊千代、同北林甚太郎(第一回)、同平岡徳造(第一回)、同馬淵健三、同増田裕の各証言及び原告本人尋問の結果並びに成立に争いのない甲第二及び第九号証の各記載は、たやすく措信できない。

二、被告のなした原告に対する免職処分の効力について、

(一)、原告の本件免職処分が憲法第十八条、第二十一条、第二十八条、国公法第九十八条第三項に違反する、との主張について、

原告は、本件免職処分はいわゆるマツクアーサー書簡によるレツドパーチの先駆として、当時の占領軍に迎合し労組に対し露骨な弾圧政策をとつた吉田内閣の指示に従い被告のした処分に外ならず、右は思想の自由を侵害し原告の労組員としての活動を不当に圧迫したもので、前記憲法並びに国公法の各条項に違反し無効である、と主張する。しかしながら、吉田内閣が被告に対し原告のいう労働組合弾圧政策の一環として原告等労働組合幹部を免職処分に付すべき旨指示を与え、被がその指示に基き本件免職処分をなしたという事実を認めるべき証拠は全く存しない。また証人馬淵健三は、連合軍から大阪の裁判所職員中に二、三名の共産党員がいるから追放せよとの命令があり大阪地方裁判所においてはそのらうな職員はいない旨回答したところ、大阪高等裁判所長官が小原地方裁判所所長を呼び寄せ、進駐軍は、厳重な調査をしていて共産党員がいなくともその同調者がいると該当者を指名して来ていてその者を追放せよとの命令である旨告げたので、大阪地方裁判所ではそのような思想をもつていることを理由にして処分することは困るからということで調査を始め、資料が出たので職務の懈怠者として処分しようということになつたものであつて本件免職処分がいわゆるレツトパーヂであることに間違いなく、このような動機がなければ原告等に対する免職処分は起り得なかつたとの趣旨の証言をなし、証人藤原菊千代は原告を免職する本件処分は結局原告の抱懐している思想を問題視した為であると証言し、更に証人増田裕も本件免職処分は当時の社会情勢等からみてレツトパーヂであるとの趣旨の証言をしている。これらの証言にはその頃の国家社会状勢に対する各証人の主観的判断からの推測によるにすぎないのではなかろうかと疑われる点もあり全面的に信用することは躊躇される。もつとも本件処分案が常任委員会から裁判官会議に提出された経過としては、前認定の通り、連合国最高司令部の命令、指示乃至示唆が最高裁判所になされそれが下部に伝達せられたものだとの憶測が常任委員会に支配的であり、その故に右司令部が表面切つて多数馘首の要求をつきつける以前に少数行過ぎの者を犠牲にして多数の者を救うのが賢明だと考えられたものであり、それなればこそ、裁判官会議においても、外部からの圧力の有無につき執拗な質問が繰返されたのであるが、仮にこの常任委員会を支配していた空気が以心伝心の中に裁判官会議にも伝つていたとしても、更にはそれ以上に、連合軍出先機関から直接に、または連合軍最高司令部から最高裁判所を通じ、大阪地方裁判所に対し共産主義者追放の申入れがなされていたとしても、そしてそれが本件免職処分の端緒となつたとしても、大阪地方裁判所がこの申入れに盲従して憲法により保障されている思想の自由を侵すような処分をしたのならば格別、只それだけでは処分は無効だとはいえないのであつて、処分が無効な為には憲法以下の諸法令に照しそれに重大且つ明白な違法即ち瑕疵がなければならない。本件についてみるに、常任委員、裁判官会議出席裁判官の中に右のような憶測を抱いていた者があつたとはいえ、常任委員会においても、裁判官会議においても終始原告等が国公法第七十八条第一号及び第三号に該当するかどうか、免職処分を相当するかどうかの観点から検討されたことは前認定のとおりであつて、連合軍からの示唆があつたとする前記憶測等が本件免職処分の帰趨に決定的な影響を与え、裁判官会議が自主的判断を失つて機械的に処理し、以て思想を罰するの非違を敢えてしたというようなことを認めることはできない。

なお、最高裁判所から大阪地方裁判所長に対し正当な組合活動の範囲を逸脱して裁判所内部の規律を紊乱する職員を調査報告するようにとの命令があり、これが本件免職処分の端緒となつたことは既に認定したところであるが、司法行政の最高の責任者である最高裁判所は、司法行政作用全般を統轄し、司法行政の実施に関し各下級裁判所を指導監督する権限を有するものであるから、最高裁判所が下級裁判所たる大阪地方裁判所に対して右の如き命令を発したことは、前記司法行政上の権限に基くものであつて、違法ないし不当の廉は全くないといわなければならない。

更に、被告が原告を前記組合員であること、正当な組合活動をなしたことの故を以て差別的に取扱い免職処分に付したものと肯認せしめるに足る証拠は存しない。却つて前記一の(二)の(5)及び(7)において認定した原告の行動勤務状況等は正常な組合活動の範囲を逸脱し国家公務員(裁判所職員)としての適格性の欠如を窺知せしめるものがあり、また当時判決原本の浄書が遅延し裁判官の間で非難の声も挙つていたことも既に認定した通りであつて、被告が謄写係長としての原告の適格性並びに勤務実績等を問題視するに至つたことは、それ相当の理由があつてのことであると考えられる。

してみると、本件免職処分に原告の主張するような憲法並びに国公法の各条項違反の瑕疵があるとは到底認めえない。

(二)、原告の免職処分理由書記載事実の捏造乃至国公法第七十八条第一号、第三号不該当による本件免職処分の違法の主張について、

本件免職処分事由が別紙処分説明書に記載されているものであることは当事者間に争いないが、被告が原告に何等国公法第七十八条第一号、第三号所定の不利益処分事由に該当するような具体的事実の庁鱗もないのに故ら原告を免職処分に付するため前記処分理由書記載の事由を捏造したと認めるに足る証拠は存しない。

別紙処分説明書記載の本件免職処分事由は抽象的なものであるが、前記一の(二)の(5)乃至(7)において認定した事実がその具体的事実として前記裁判官会議において論議の対象とされたものであることは、前記認定した裁判官会議における審議の状況に徴して明かである。そこで次の右一の(二)の(5)乃至(7)において認定した事実が国公法第七十八条第一号及び第三号の不利益処分事由に該当するか否かについて考察する。

(1) 国公法第七十八条第一号の該当性について、

国公法第七十八条第一号にいう勤務実績とは、職員が割り当てられた職務と責任とを遂行した実績即ち執務上の成果と解すべきものであるところ、前記一の(二)の(5)及び(7)において認定したように、原告は昭和二十三年十一月一日刑事部訟廷課謄写係長になつてから、当時既に正規の手続を経なければ組合の事務に専従することを許されなかつたのにも拘らず、このような手続もなさず妄に勤務時間中自席を離れ組合事務所に赴き組合事務を執ることが多く、又勤務時間中上司の許可を得ず組合活動をなしていたもので、タイピストの指導監督並びにタイピストに対する判決原稿の配分等を主たる職務内容とする謄写係長の職責を尽したものと認め難く、当時裁判官の間で判決原本の浄書が遅延するという非難の声が起つていたことに徴しても、原告の執務上の成果が良好であつたと認めることはできない。そしてこのことは証人平岡徳造の証言(第一回)により真正に成立したものと認める乙第七号証の一、二(原告が人事院に対し本件処分に関し審査請求をした際被告から原告の勤務実績不良を証明するため提出された資料)によつても窺知することができる。右乙第七号証の一、二によれば原告が謄写係長として勤務していた昭和二十四年三月十二日以降免職処分に付せられる直前までの謄写係の判決等浄書の一件当り所用日数は、原告の後任者のそれに比し、一〇六日多く要していることが認められる。そして右乙第七号証の二により、原告が謄写係長として勤務していた同年三月十二日から同年九月十一日までとその後任者の勤務期間中の同年九月二十六日から同年十二月二十五日までの、謄写係において処理した件数とタイプ完成枚数との各月別の明細を検討するに末尾添付の別表記載の如くである。なお右同号証によれば、原告が謄写係長をしていた右期間と後任者の右期間とにおいて謄写係タイピスト数に変動はないと認められるに拘らず、原告が係長をしていた頃の謄写係の事務処理状況は、タイプ完成枚数の点で後任者の場合の殆んど半分程度であることは、毎年三、四月頃に裁判官の転勤移動がありそのため終結する事件数が幾分減少し、また七、八月頃は、夏期休暇のため同様に事件数が減少し且つタイプの遅延することが間々あることは、当裁判所にも、顕著で、そのようなことを考慮に入れても、両者の差異は余りに甚しく、このような結果となつているのは、原告の職務懈怠が謄写係タイピストにも反映したか乃至はタイピストに対する仕事の分配割当等が渋滞したかいづれにしても係長たる原告の責は免れない。蓋し判決原本浄書の成果はタイピストの能力、勤情等に関係するところが多く、その不成績の責任の総てを係長たる原告に帰せしめるのは苛酷であるが、係長はタイピストを常時指導監督してその能力を遺憾なく発揮させる責務があるのであるから、既に認定したように勤務時間中屡々長時間にわたり自席を離れ組合事務所において組合事務を執つていた間は、謄写係長としての職責遂行に欠けるところがあり、謄写事務渋滞の因を成したであろうことは経験則上容易に推認しうるところであり、判決原本浄書の成果の挙らなかつたことに対する責任の一半が原告に帰せられても致し方のないことといわねばならない。

なお、被告は原告の勤務成績が著しく不良であつたことの証拠として乙第八号証(審査日附昭和二十四年六月十九日の原告に対する裁判所書記勤務成績評定表の写)を提出し、証人平岡徳造(第一回)、同馬淵健三、同小原仲、同上田明信等の各証言と成立に争のない第九号証の一、二を綜合すると、右乙第八号証の原本は、昭和二十四年六月十二日書記官昇任試験の資料として裁判官会議において一応評定し、それを所長名義の評定書として作成したものであるというのであるが、昭和三十四年二月十八日当裁判所が大阪地方裁判所所長宛に右原本の所在調査嘱託をなしたところ、これに対し同月二十五日附を以て、該勤務評定表は昭和二十四年六月十二日頃大阪高等裁判所宛に送付し同月二十日同裁判所より最高裁判所人事局長宛送付し、同局において昭和二十七年四月一日以前の年月日不詳のとき廃棄しているが、右評定結果の順位は十二・八中十二番であるとの回答がなされたことは顕著なところであつて、右回答と乙第八号証の審査日付、成績順位等の記載と彼此対照すれば両者の相違は甚しく、乙第八号証の原本が存在していたかどうかも疑われ、また右乙号証が何時何人によつて原本から転写されたかも全く不明であつて、結局右乙号証の成立の真正はこれを認めることができず、従つてこれを事実証明の資料とすることはできない。

してみると、原告には少くとも右に判断した程度の勤務実績不良の事由のあつたことはこれを否定することができない。

(2) 国公法第七十八条第三号の該当性について、

国公法第七十八条第三号の、その官職に必要なる適格性を欠く場合とは、当該官職につき当該職員の素質、能力、性格等から見て国家公務員たるに適さない色彩乃至「しみ」が付着していて、それが簡単に矯正できない持続性を持つている場合をいうものと解すべきであつて、同号の適用されるのはある一定の行為がその公務員についてかような不適格性の徴表と認められる場合でなければならない。

勿論右適格性なるものは、当該職務遂行上必要とされる一切の要素についての人の属性を含むが故にこれを種々の観点から分類することができるが、国家公務員としてすべての官職について斉しく要求さるべきものと当該官職について特に具備することを要求されるものとに分類することが可能である。ところで国家公務員たる職員は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならず(国公法第九十六条第一項)、その職務を遂行するについては法令に従い且つ上司の職務上の命令に忠実に従わなければならず(同法第九十八条第一項)、また、人事院規則の定める場合を除いてはその勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い政府がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない(同法第百一条第一項前段)のであるから職務専念意思、遵法精神等は国家公務員たる者には官職の如何を問わず斉しく具備せねばならぬ基本的要素である。

原告が昭和二十三年十一月一日謄写係長になつてから傍らその余力を以て組合事務を執行することになつたのであるが、原告はその後勤務時間中屡々長時間自席を離れ組合事務所において組合事務を執行していたことは既に認定した通りである。これに対し原告は、原告が右のように勤務時間中組合事務を執行することについては被告の了解を得ていたものであり、然らずとするも黙示の承諾を得ていたものであると抗争し、証人北林甚太郎(第一回)、同藤原菊千代の各証言並びに原告本人尋問の結果は事実に副うものがあるけれども、次に述べる当時の情勢に照したやすく措信できず、他に右事実を肯認するに足る証拠もない。即ち終戦後暫らくの間は国家公務員の多くの職域で組合事務に専従する職員が多数出て本来の職務を顧みずそのため能率の低下職場規律の紊乱を招いたこともあつたが、国公法は前記の通り職員の服務の根本基準を定め職務専念義務を規定し、その後次官通牒の形式で専従職員は一般的に登録職員団体の代表者又は役員に限り休暇を得てのみなしうる趣旨が明らかにせられ、更に昭和二十四年五月九日人事院規則一四―一、同一五―三が施行され右趣旨が明定されるに至つたのであつて、原告が謄写係長になつた時期及びその後に続く時期はまさに当局が前記終戦直後の事態を是正しようと努力していた頃であるから前記人事委員会の要請を容れ原告を謄写係長に任命したとしても、原告が専従的乃至半専従的に組合事務を執行することを被告において了解し又は暗黙に承諾していたとは到底考えられない。

そして、右の如き原告が勤務時間中妄に自席を離れ組合事務所において組合事務を執行していたことは、相当長期にわたつており、しかもそれは右に述べたような情勢下に敢えて継続されていたのであるから、単なる一時的偶然的なものとは考えられず、寧ろ却つて原告の素質乃至性格から発する信念的行動ともいうべきものである。

従つて、原告の右行為は職務専念意思並びに遵法精神の欠如の徴表ということができ、国公法第七十八条第三号の不利益処分事由に該当すると認められる。

(三)、原告の本件免職処分が人事院規則一一―〇第一項及び第三項に違反する、との主張について、

国公法第七十八条は、職員の勤務実績がよくない場合(第一号)、その官職に必要な適格性を欠く場合(第三号)等には、人事院規則の定めるところにより、その意に反してこれを降任し又は免職することができる旨規定している。そして人事院規則一一―〇(昭和二十四年三月三十一日施行のもの)第一項には、法第七十八条第一号の規定により職員を降任又は免職することのできる場合は、考課表その他の勤務成績を評定するに足ると認められる客観的事実に基き、勤務実績の不良なことが明らかな場合とする、と規定され、また同規則第三項には、同章第三号の規定により職員を降任又は免職することのできる場合は、当該職員をその現に有する適格性を必要とする他の官職に転任させることのできない場合に限るものとする、と規定されている。そこで、このような人事院規則が制定されるに至つた所以を考察するに、国公法第七十八条による不利益処分は、職員自身の責に帰すべき行為に対し道義的責任を追及する懲戒処分と異なり、職員の責に帰すべきか否かを問わず専ら行政事務の合理的運営ないし能率の観点から職員を降任又は免職するのであるから、同条第一号により不利益処分をなす場合には、その処分事由の認定については主観性の混入する虞れのある証拠方法を排除し、証明力の稀薄な情況証拠から推認的に認定することを許さず、合理性のある客観的資料によつて認定することを要求し、また同条第三号により不利益処分をなす場合には、その不適格性が如何なる点にあるかを検討してその現有する適格性により他の官職に転任させることのできない場合にのみ不利益処分をなすこととして、右不利益処分の手続を厳格化し、処分の公平と適正を期したものに外ならないと考える。

ところで、本件免職処分を決定した前記裁判官会議において、原告の勤務実績の不良を認定しているのであるが、その認定の段階において、右人事院規則一一―〇第一項に明示しているところの考課表ないし客観的資料、被告が本訴において提出した乙第七号証の二、同第八号証の原本の如きものが提出されたことを認むべき証拠は全くないから、既に認定したように、勤務実績不良の点は考課表又はこれに準ずるような客観的資料によることなく、専ら常任委員からの口頭による説明並びに出席裁判官の意見陳述のみによつて認定されたものと認めるの外はない。してみると本件免職処分においては、原告の勤務実績不良の処分事由を認定する手続において人事院規則一一―〇第一項に違反した瑕疵が存するといわなければならず、しかも右違法の存在は事物の性質から考えて明白であるということができる。

次に右裁判官会議は、原告の前記認定した行為が国家公務員としての基本的要素たる職務専念意思、遵法精神の欠如の徴表であり原告はその適格性を欠くものと判断し、原告に注意警告して反省の機会を与えた上その処分を考慮すべきであるとの処分反対論者の意見をも斥け、他の官職に転任せしめることもできないとして、多数決を以て本件免職処分を決定したものである。しかしながら、成立に争いのない甲第七及び第八号証、証人寺尾正二の証言等によれば、謄写係長になる以前の原告の勤務成績は比較的良好であつたことが認められるし、また一応矯正することが困難と認められるような場合でも最後に矯正の機会を与えるのが免職というような不利益処分をなす場合には通常とらるべき処置であると考えられるのに、原告の場合には、とりたてていうことのできる程には、そのようなこともなされていない点、通常の事態(占領下公務員労働運動の制限強化の特殊事態に対し)ならばかくまで厳格な処分がなされなかつたのではなかろうかと推測できる点、その他原告外二名が個別的事由を異にするものがあるであろうと考えられるに拘らず一括して議決せられた点など杜撰な点が認められ、本件処分の手続上の不当を思わしめるものがないではないが、職務専念意思と遵法精神の尊重などはあらゆる公務員に共通する基本的なものであるから、裁判官会議が前認定にかかる事実から、原告を右二点において不適格を判定した以上、他の官職に適格性を有することは考えられず、本件処分について、人事院規則一一―〇第三項に違反する瑕疵があるとまでは認め難く、仮に右条項に違反する瑕疵がるあとしてもその違法の存在が外観上明白なものとは断定し難い。

(四)、本件免職処分の適否について

そもそも、行政行為が行政行為として完全な効力を生ずるためには、行政法規の定める要件に適合することを必要とする。行政行為が法規の定める要件に適合しない場合(違法な行政行為)には、その行政行為は完全にその効力を生ずることができないわけであるけれども、そのような場合においても、その違法があることにより直ちにその行政行為を無効とせず、権限ある行政庁又は裁判所によつて取消されるまでは一応有効適法なものとして何人もその効力を否定することができないとされているのであるが、これは行政行為が通常権限ある行政庁によつてなされるものであるところから、別の権限ある国家機関(行政庁又は裁判所)によりその違法が確定されるまでは、その判断を尊重することが行政上の法的安定性と行政の円滑な運用の観点から要請されるためであると考えられる。しかしながら行政行為に権限ある国家機関の判断に基くものとして尊重するに値しないような致命的欠陥があり、それが何人にも容易に認識し得るような場合、換言すれば行政行為に内在する瑕疵が重要な法規に違反する重大なものであり且つその存在が何人にも容易に知ることのできる外観上明白なものである場合にまで、右の如き強い効力(いわゆる公定力)を認めるべき法理上の根拠乃至要請は存しない。蓋し、行政行為の公定力は、専ら行政上の法的安定性と行政の円滑な運用という政策的理由に基くものであるから、行政の基本原理に悖らない範囲において承認せらるべきものである。従つてただ国民の権利自由の圧迫となるような重大且つ明白な違法のある行政行為までも単に取消し得るにすぎないものとせんか、それは甚しく行政の基本原理たる法治主義に悖ることとなり、遂には国民の不信を惹起し行政作用の自壊を招来する以外何等裨益するところがないからである。よって、行政行為に重大且つ明白な違法の存する場合には、無効な行政行為として何人もその効力を否定しうべきものである。そして右二標準(重大且つ明白)の何れか一つを欠く場合には単に法定の手続に従い権限ある行政庁又は裁判所に対しその取消を求めうるに過ぎない。

ところで、或る一定の法律効果が、複数の独立、並位的な法規の個々の要件事実からそれぞれ生ずるような場合、行政庁がある具体的事実に右の如き法規所定のうち、例えば、二個の要件事実に該当するものとしながら全体として一個の行政行為をなしたとき、そのうち一の要件事実についての法規適用の側面からみれば法の定める要件を欠く重大な違法があり且つその存在も外観上明白であつても、要件事実についての他の法規適用の側面からみれば重大且つ明白な違法ありと認めることができない場合には直ちに全体としての一の行政行為が前記瑕疵により無効となるものと速断することを得ず、右二つの法規適用の基礎事実につきいずれが当該行政行為において重要さを持つているか、当該行政庁はいずれに重点をおいたか、即ち前記二個のそれぞれが全体として一の行政行為において占める重要さの度合を勘案し、その中一個の事由からだけでも当該行政処分がなされたであろうとの蓋然性の強い場合は、右行政行為に内在する部分的な違法は当該行政行為を全体として無効ならしめるような重大なものに値しないと解すべきが相当である。

本件についてこれを見るに被告は別紙処分説明書記載の事実が国公法第七十八条第一号及び第三号に該当するとして原告を免職処分に付したものであるところ、前記二の(三)で述べたように、同条第一号適用の点からみれば処分事由たる事実認定の手続において人事院規則一一―〇第一項に違反する明白な瑕疵が存し(これが重大な瑕疵に当るかどうかは問題である。若しこの瑕疵の故に実体の判断を誤つたような場合は疑もなく重大な瑕疵に当る。しかし本件の場合はこの手続上の瑕疵にも拘らず実体判断は誤つていないから重大な瑕疵には該当しないものと解する)、仮にこれが、それ自体として重大な瑕疵に当るとしても、同条第三号適用の点については少なくとも重大且つ明白な瑕疵はないのであつて、前記認定にかかる裁判官会議における本件免職処分審議の状況や別紙処分説明書記載事実に照し、原告が裁判所職員としての適格性を欠くかどうか、然りとすれば免職処分に付するを可とするか否かの点が主題をなし、勤務成績不良の点は寧ろ従たるものであつたことが推認されるばかりでなく、その成績不良の点も認定手続において違法を犯したに止り客観的な実態についての判断には誤なく、その成績不良の原因は一に職務懈怠にあつたのであり、これは適格性の判断に際し十分取上げ検討されているのであるから、同条第三号のみにより本件免職処分をしたとしても著しく合理性妥当性を欠くと認め難く、従つて裁判官会議は適格性の点に重点をおいたものと認めるのが相当であり、その点だけでも当該処分をしたであろうとの蓋然性が極めて強いから、本件免職処分に内在する前記瑕疵は、全体としての本件免職処分を無効とするような重大なものに値しない。

なお、本件免職処分に対する原告の人事院への提訴に際し人事院の審査の重点は同条第一号の不成績の点のみにおかれたとしても、右免職処分が同院で取消されていない限り、同条第三号の不適格性の点が排除されてしまつたものとするをえないのであつて、当裁判所は被告のなした行政処分を元のままのものとして取上げその効力について判断することができることは言うまでもない。

してみると、被告が昭和二十四年九月十三日原告に対してなした本件免職処分には、これを無効とすべき重大且つ明白な違法はないから、これの存することを前提とする原告の本件免職処分請求は理由がない。

三、原告の被告に対し身分回復並びに俸給弁済に必要な行政措置を命ずることを請求する訴の適否について、

原告は、本件免職処分の無効を前提として、「被告は原告が免職処分によつて失つた身分を回復し、右免職処分以後の俸給の弁済を受けうるよう必要な行政措置を取らねばならない。」との裁判を求めている。

しかしながら、法令上別段の定めのある場合の外裁判所(裁判権を行使する場合の)は行政庁に代つて自ら行政処分をしたと同じ効果を生ずる裁判をしたり、行政庁に対し作為または不作為の行政処分を命ずる裁判をすることはできない。蓋し、若し仮に裁判所にこのようなことをする権能を与えたならば、司法権の行使を掌る裁判所が行政権をも行使し、或は広範囲に行政庁を監督する結果となり三権分立の原則に反することになるからである。本件について見るに、原告の右訴は、行政庁としての被告に対し、原告が免職処分により失つた身分の回復と免職処分後の俸給の弁済を受けるよう必要な行政措置をとるべきこと即ち作為義務を命ずることを求める給付の訴であつて、これらのことをなすべきことを命ずる権能を裁判所にみとめた法令はないから、右訴は不適法である。

四、結論

以上の通り、実体法的側面からみれば本件免職処分に何ら憲法や国公法に反する違法のないことが明らかになり、手続法的側面からは国公法第七十八条第一号所定事由認定手続に明らかな瑕疵があり、その他最終的反省の機会を与えなかつたことや個別事情を異にする三名を一括して議決したことなど手続上遺憾な点がないではないが、右二点は不利益処分手続をなすについての致命的欠陥(法律上その履践を必要的のものとされている場合の不履践)ではなく、また前記明らかな瑕疵も同条第一号、第三号に該当する単一の不利益処分を無効ならしめるほどの重大な瑕疵でないことは既に説明した通りであるから、原告の本訴請求中行政処分の無効確認を求める請求は、これを理由なしとして棄却し、その余の請求は、訴自体不適法として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(昭和三六年八月一六日 大阪地方裁判所判決)

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